「性欲は強いけれどセックスは得意じゃないや」

※画像は下記
[▲オナマシの中で1番好きなアルバム、彼女ボシュー。]

オナニーマシーンというバンドの「あの人」という曲の歌詞の一節。
「性欲は強いけれどセックスは得意じゃないや」
この曲を聴いた時、ひどく胸を打たれた。
なんてことだ。
このひとつの文に、ものすごくたくさんのモノが含まれている。
言い手が未熟であれば滑稽でこそばゆく甘酸っぱい言葉だし、その逆であれば、匙を投げたような、とても切ない言葉になる。
セックスという言葉を用いてはいるが、私には"人との関わりそのもの"の様な気がしてしまう。
これが「上手じゃないや」だったら違っていた。
上手いか下手か、ではなく、「得意じゃない」。
この曲を聴いて、なんどもなんども泣いた。

オナニーマシーンは名前の通り、下ネタばかり唄うおじさん青春パンクバンドである。
私が初めてオナマシを聴いたのは、サンボマスターとのミニアルバム「放課後の性春」を借りてきた時だった。
当時中学生。
中学校は1年の夏休み明けくらいから不登校になった。
もちろん髪を染めたりタバコを吸ったりコンビニにたむろしたりではなく、ヒキコモリのようなタイプの不登校児。
朝はアトピーと鼻炎の薬の副作用の眠気で起きられず、いざ登校すれば、校門のすぐ手前でめまいと恐怖と汗とで、頭がいっぱいになる。
学校に行けない自分を毎日毎日責めた。
今日もだめだった。
どうしよう。
いまからでも行こうかな。
でも行こうとすれば口の中に胃液が込み上げてきて、苦しい。
うまく説明が出来ないせいで周囲からは怠けていると思われ、その差異が殊更、辛い。
そんな中、隣町の映画座というローカルレンタルショップへ行き、CDやビデオ(古い)を借りてくるのが唯一の楽しみだった。
その頃は毎週ジャケ買いならぬジャケ借りしてきては、MDに落として音楽を聴いていた。
姉が音楽好きだったのが大きいかもしれない。
オナニーマシーンのCDをジャケ借りする中学生って、どんなだよ。
サンボマスターの曲も全部良かったが、オナマシの曲も心底よかった。
歌詞が本当に絶妙で秀逸。
滑稽なのに、時々ハッとさせられる。
心がまっすぐな人じゃなければ書けないとおもう。

ボーカルのイノマーさんは元オリコンの編集長。
オナニーマシーンを結成した当時、33歳。
中年のおじさん達が、下ネタだらけのバンドを結成する。
しかもクリスマスイブに。
ライブでは全裸になり、使用済みティッシュをぶちまけるなどのパフォーマンスを行う為、都内のライブハウスはほぼ出入禁止。
楽曲の内容が酷くてリリース前に発売中止になる、などなど、逸話だらけの伝説のバンドである。
ギターのオノチンさんはJET BOYSというバンドをやっていて、イラストレーターもされている。
大根でギターを弾いて足元に大根おろしをつくる事で有名である。
私の革ジャンには、オノチンさんのサインが入っている。
ギターウルフの日比谷野音ライブに行った際、客席にいるオノチンさんを発見して「サインしてください!!」と直談判した。
「ええーっ!?俺なんかが最初でいいの!?」と、めちゃくちゃ低姿勢でめちゃくちゃ良い人。
まだ買って間もないピカピカの革ジャンに筆を入れるのを戸惑っていらしたので、
「お願いします!!中学生の頃からファンなんですッ!!」
とゴリ押しして書いて戴いた。
この人が大根でギターを弾いて大根おろすとは、にわかに信じ難い。
そんな人柄を拝見して、更にファンになった。
左下はギターウルフのドラム、トオルさんのサイン。
しばらくオイル塗ってないから、そろそろお手入れしないとだ。
イノマーさんは去年の12月19日、口腔がんの闘病の末お亡くなりになった。
久しぶりにライブ観に行った時、すごく痩せてしまっていて心配していた。
ライブハウス界隈で聞いてみても特に情報は無く、精神的な病とかなのかな、はやく食べれるようになればいいなと思っていた。
そんな矢先の事。
イノマーさんらしい、ジョーク混じりの日記でカミングアウト。
[▲物販のクジで当てたチン拓もとい玉金拓。扱いに困る、我が家の家宝。」

私は、イノマーさんに話しかけた事がなかった。
ライブを観に行ったり、フロアですれ違ったりはすれど、なんて言えばいいんだろうと思って声を掛けられずにいた。
唯一、ライブ後の物販のクジで当たりが出て、イノマーさんのチン拓を貰った時に「おー!おめでとう!」と言って戴いた。
イノマーさんの書く文章がとても好きなのだが、検索したら昔のHPの私小説がまるっと無くなっていてショック。
最後まで読んでいなかったので、残念。
でも、すごく面白かったって感覚は覚えているから、それでいいのかもしれない。
2019年11月10日、ダムダム団でイノマー万博に出演した。
私がみんなにどうしても出たいと言ってエントリーさせて戴いた。
イノマー万博とは、イノマーさん主催で、誰でもエントリーすることが出来る開けたイベントである。
ジャンル不問だったので弾き語りでエントリーすることも可能だった。
でも私は、このイベントだけは絶対バンドで出たかった。
以前ギターをやっていたダブル三兄弟で出演しないかと提案したのだが、たしか曲数が足りないか何かで断念。
何年スタジオ入ってたんだよ。
トンデモを地で行くバンド、ダブル三兄弟。
無論、褒め言葉である。
私も毎回スタジオで呑んで泥酔してごめんなさい。
そんな訳で出演するタイミングを完全に逃していた。
[▲2002年2月10日渋谷ラママ、ダムダム団ライブ日誌。サンボマスター、オナマシとの対バン。私がオナマシを初めて聴いたのと同時期。感慨深い。そして毎回おもしろライブ日誌をつけて残す鈴木さんのマメさは病的。2000年から残っている。20年前。もはや畏怖を覚える。あとこの日のセットリストが今のダムダム団と半分同じ。もはや畏怖Ⅱ。]

ダムダム団に加入してしばらくは、借りてきた猫の様な状態だった。
なぜならば、ライブハウス通いをしていたJK時代、カッコイイ!!と思って観ていた、あのダムダム団なのだから。
自分なんかに高橋さん(ダムダム団元ボーカル)の代わりが務まるのだろうかとおどおどしていた。
でもダムダム団の曲が唄えるなんて嬉しいからいずれクビになってもええやんラッキーシンデレラガールやん、と思って、精一杯唄った。
スタジオが終わるたびに大泥酔し、サングラスとパーカーを着せられたり、BiSHの無銭ライブに行って大泥酔したり、ダムダム忘年会で大泥酔したりを繰り返し、気付けば当初の借りてきた猫感はすっかり消えていた。
思った事を言えるようになった私は、心の隅にあった「イノマー万博出たい」という想いを伝えた。
場所もアウトブレイクだし良いじゃないか、とエントリーして無事出演する事に。
2019年11月10日イノマー万博当日、イノマーさんは現場のカメラから中継でライブを見るリモート参加。
会場にはオナマシのドラムのガンガンさんがDJでいらしていた。
オナマシ昔からすごく好きですと、めちゃくちゃ緊張してご挨拶をした。
ガンガンさんもすごく良い方で、「わー、そうですが!ありがとうございます。」と丁寧に受け答えして下さった。
好きな人にはフランクに出来ず、マジでどもってしまう民。
この間たまの石川浩司さんと対バンさせて戴いた時も、同じ感じだった。
お酒をたくさん呑まないと、肝がちいさい。
終演後ガンガンさんと話そうと思ったら、ライブを観に来たダブル三兄弟のことりちゃんが泥酔して「いっせーのーせ!いち!」とかいう指遊びをガンガンさんに強要しており唖然とする。
トンデモを地で行く女、ことりちゃん。

ライブでは鈴木さんがMCで「18年振りだよ、イノマーさん!」と問いかけるなど、私としても色々と想いの詰まったものになった。
レンタルショップでオナマシ借りてきた不登校児が、ダムダム団に加入して、イノマー万博に出演しましたよ、イノマーさん。
イノマーさんはその1ヶ月と9日後、亡くなった。


ダムダム団の新曲の歌詞に、オナニーマシーンの「がんばるな」という曲の一節を引用させて戴いた。
冒頭に書いた「あの人」の中では繰り返し、"人生に期待するな"と唄われている。
北野武の言葉らしい。
一見ネガティブな言葉のようだが、イノマーさんが唄うととても温かい。
期待しなくていいんだ。
期待、応えなくていいんだ。
ほっとした。
たくさん泣いた。

人間は人生の中で、何度も何度も、自分の哲学を改編して生きていく。
色んな経験を元に、時には医学や化学の進歩と同じように、誰かの思想や価値観を借りることもある。
そうやって、どんどん年輪を増やしていく。
進化も退化も無く、ただただ歳を重ねる。
それでいい。
だれかを救おうだなんて烏滸がましい思いは無いけれど、私の救われた言葉や感覚で、他のだれかがほっとできたら、それは素敵なことだと思う。
どんな悲しみも苦しみも、ネタにして笑い飛ばしてしまおう。
楽しいのは勘違い。
哀しいのも勘違い。
気持ち良いのは間違いない。
それで充分。
遠く及ばないのは分かっているけれど、あんな風に歳をとりたい、と、強くおもう。
もうすぐ、イノマーさんの一周忌です。

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