よるのふち。
目覚めると知らない駅だった。
「お客さん、終点ですよ。」
という、コントのような駅員の声掛けでよろよろとホームへ降りる。
またやってしまったか、という反省のような感覚はなく、ただただアルコールでまどろんだ思考に酔っていた。
「こういうときに罪悪感というものを覚える人間であったなら、今までもこの先も、何十回と終電を寝過ごす人生ではなかったのだろう。」
などと、焦がれてもいないくせに分析だけしてみたりする。
酩酊していても理屈っぽい考え方は変わらず、むしろ絶好調といわんばかりにフル回転で、保留中の議題を引っ張り出してはアレコレ展開させていく。
酔うことによって、自分本位でない"でも"を眠らせることができる。
大崎駅の見慣れない階段をふらつきながら一段ずつ上り、どうにか改札を出る。
携帯電話で周辺の情報を得ようとポケットをまさぐったが、数日前に酔っぱらって失くしたのを思い出した。
携帯、鍵、財布の貴重品の類いを紛失しても慌てふためくことがないのは、肝が据わっているからではなく、幾度となくそれらを消失する経験を経てきた慣れからくるものであることは、言うまでもない。
あーあ、と苦笑いをこぼし、駅員に急かされるままに構内から出る。
私の身体が線を超え外に出た瞬間、今だ!といわんばかりに下ろされるシャッターを背に、さてどうしたものかと立ち尽くす。
とりあえず、腹が減った、と気付いた。
腹が減っては戦はできぬ、と、コンビニを探し歩き出す。
歩道橋のたもとにファミリーマートを見つけたので、なにか食べようと入店する。
まだ夏の範疇だったが、日中の熱射に合わせた軽装での夜は、すこし肌寒い。
好物のシーフードヌードルと、大好物の缶ビールを購入し、店員さんに、
「この辺に漫画喫茶とかってないですかねえ?」
とたずねるも、
「この辺にはないですねえ。隣の品川までいかないと。」
と、そりゃそうですよねえ、という回答。
カップ麺にお湯を注ぎ、ふらふらと歩道橋の階段をのぼる。
道幅が若干広く、しっかりと橋感のある歩道橋だな、などと思いながら、中程の側面に背を預け座り込む。
カップ麺は規定の3分を待たずに即食べる硬麺派なので、ふたをすべて剥がし、いそいそと麺をかき混ぜ、すする。
うーむやはり移動時間で少し麺がふやけてしまったなと思い乍らも、アルコールで脱水状態の身体に、塩味のつよいスープはとてもよく効いた。
歩道橋の上であぐらをかいて、目をしょぼしょぼさせながらシーフードヌードルをすすり、缶ビールを呑む。
路頭に迷うという事実は絶望的と思われるが、その実、この手のシチュエーション百戦錬磨の私。
なんとかなるという経験則のもと、雲のない真っ黒い空を仰ぎ見る。
すこしだけ、星が見える。
冬の澄み渡った空とはちがって、湿度を含んだ、もやりとした深淵。
終電を逃す恐れのない世界線は、すべてのしがらみから宇宙空間へと放り出されたような、静かな心地よさがある。
小さい頃、布団の中で、おかあさんに寝かしつけられながら、
「みんなねむるの?」
と聞いた。
「みんなねむるよ。」
とおかあさんは言った。
「うさぎさんも、ねむるの?」
と、私がたずねると、
「うさぎさんもねむるよ。」
とおかあさんが言った。
そこからはもう、知っている人やどうぶつ、ものを手当たり次第に例に出し、
「園長先生もねむる?」
とか、
「プーさんもねむるの?」
と怒涛の質問攻めに遭わせる始末。
いま思えば、よくあんな稚拙で単調なやりとりに付き合ってくれていたよな、と、母の寛大さ、偉大さを改めて思い知った。
おかあさんも、もうねむっているだろうなあと、カップ麺の最後のスープを飲み干し、缶ビールを煽る。
ここからどうしたものかと思いつつ、どうにもしなくてもよいというぬるま湯のなか、始発で職場には向かわないと携帯のアラーム使えないし等と、うつつと現実とを行き来する。
ぼんやりとまどろみながら、缶ビールを呑む。
いつもならば、植え込みや路上の端のほうで眠るのだが、電車の中で居眠りをしていたおかげか眠気はそんなになかった。
気温も耐えられないほどの差異はなかったし、現在地と地図を確認できる携帯電話もない。
最近買ったばかりの厚底サンダルで靴擦れを起こしていたので、わざわざ隣町の漫画喫茶まであるく理由は見当たらなかった。
呑み始めならば数分で呑み干してしまう一杯を、味を確かめるように、もてあそぶように、ひとくちずつ、含む。
どこからきて、どこへいくのか。
それらは望ましいのか、否か、それとも望んだ結果であるのか。
そういう、他愛も無いことに想いを巡らせる。
ひとりぼっち、即ち、私がわたしと対話する時間。
私はすぐに家を飛び出してしまうから、わたしと見つめあうことも、言葉を交わすことも、ついつい疎かにしてしまう。
私のわたしが寂しがって、かまってほしがっているのは、重々、わかっているはずなのに。
うずくまるように、自分で自分の肩を抱きしめて、わたしはここにいるよ、と頭の中で問いかける。
とてもたいせつなことほど、いちばんだいじなことほど、わすれてしまいやすいから、きちんと口に出してあげなくちゃならない。
それは、めんどうくさいことなんかじゃなくて、とてもとても喜ばしく、愛おしいこと。
目の前を人が過った。
意図せず終電で流れ着いてしまった人々は、私がシーフードヌードルをたいらげ、缶ビールと戯れているうちに、タクシーやその他各々の方法で帰路や寝床に着いていった。
この街に残った難民はもう私くらいなものだと思っていたので、まあ、この付近に住む人なのだろう、くらいに思った。
歩道橋の向こうの階段を降り、去っていった。
しばらくして、同一とおもわれる人物が、先程吸い込まれていった階段から現れた。
私に気付いていないはずはないのだが、まったくの無関心といった感じの早足で、目の前を通り、最初にのぼってきた階段を降りてゆく。
変なひとだなと思いつつ、言えた口かよと心の中で間髪入れずにセルフ突っ込みをいれる。
さっきよりも早々に、先程の人物が引き返してきて、三度目の往来。
目的のないであろう挙動をするその背中に思わず、
「寝過ごしですかあ?」
と、声を投げた。
立ち止まって振り返り、
「そうっす!」
と、私に届くようになのか、すこし大きな声で返される。
そこまで膝から下しか目に入らなかったが、私よりは歳上であろう、比較的若そうなお兄ちゃんだった。
パーマで髪を染めているのと清潔感のあるおしゃれな身なり、本来の用途よりファッション要素の高い眼鏡、総体的に若干のチャラさを感じる洋装。
「私も寝過ごしですー!」
と張り気味の声で返すと、スタスタとこちらへ歩み寄ってきてくれた。
「この辺、なんもないですよ。隣の品川まで行けば、漫喫あるらしいです。」
あぐらをかいたまま見上げて言うと、そうっすよねえ、まじかあ等と、絶望の思いの丈を独り言のように漏らす。
こんな夜が日常茶飯事の私とは違い、この人にとってはイレギュラーな状況らしかった。
携帯電話が無く道もわからないので一先ず腹ごしらえをしていた旨伝えると、すこし驚くような笑うような塩梅で、
「よく寝過ごすんすか?」
と聞かれたので、ぼちぼち、と答える。
「品川まで歩きます?」
「歩きますか。」
と、気付けば自然な流れで歩みを共にする。
唯一靴擦れがネックだったが、突然仲間が現れ隣の街までゆこうなんて、ロールプレイングゲームか映画みたいでおもしろいという気持ちの方が勝った。
歩きながら、ゆるゆると身の上話を交わす。
IT関係の仕事に就いているそうで、たしか、20代終わりか30くらいだったとおもう。
正社員だけれどオフィスワークなので、髪色はわりと融通が利くらしい。
○○っす、という口調はデフォルトのようだが、その声色に粗暴さや軽薄さは感じられなかった。
漠然とではあるが、真っ当にお天道様のもとを歩んできた人なのだろうなと思った。
現に、氷山の一角でしかない私の、携帯紛失中でありよく終電を逃しその辺で寝ている等の話に驚いていた。
ごく一般的なサラリーマンという人種と話をするのは久しぶりで、自分が普段すこし変わった世界に身を置いている事実に気付いた。
私の普通と、世界の大多数には、少々ズレがあるらしい。
友人の結婚式に参加して、何次会かに参加し帰路に着いたが、気付けば終点で目覚めたのだという。
私はパートをしながら音楽をやったり絵を描いたりしているが、基本的には飲酒を軸にいきていると話した。
アメフトをやっていたという彼のまわりには、そういうインドア且つ変わり者はいないらしい。
でもたしかに、私は私みたいな人間に会ったことがあまりないし、終電で流れ着いた駅で私のような人間が現れたら、ちょっとびっくりするなと思った。
ミュージシャン、絵描き以前に、ただ単に私がいってしまっているだけなのか。
「じゅんじゅんは豪傑やな。」
と、彫刻家の友達に言われたのを思い出した。
翌日にまさにその友達とお茶の約束をしていて、携帯電話をなくした旨伝えなければとは思っていた。
漫画喫茶のパソコンがあれば、何某か方法はあるだろう。
なんだかんだフィーリングが合うのか、他愛もない話をしているうちに、あっという間に品川駅に到着した。
明日会う友達に連絡をしないとと言うと、じゃあ俺も漫喫にしとこうかなと、ふたりでエレベーターに乗った。
「明日仕事なら、ホテルで休んだほうがよくない?」
向こうがそう呟いた。
エレベーターは、漫画喫茶のある5階へと昇降していく。
私がどっちでもいいと言うと、じゃあ外で待ってると言って、私だけ漫画喫茶の階で降りた。
よくわからないが、乗り掛かった船には飛び乗るし、果し状には応える私。
ひとまず漫画喫茶の受付を酩酊状態でこなし、個室のパソコンを使ってTwitterのDMで友達に一報いれる。
待ち合わせの時間と場所、30分経っても現れなければここで待っていてほしいと、現代文明の最中とは思えない文面を送信し、ほっと一安心。
さて。
このまま、ここでねむることもできる。
相手は数十分前に偶然道端で出会っただけで、本来の素性も知れたものではない。
そんな人間についていくのは、いかがなものなのか。
酔っぱらった私の脳味噌は、いつにも増して聡明且つ鋭い視点で思考や見解を展開していく仕様なのだが、こと対人に関しては、それらが機能しないのも、いち仕様。
気付けば、30分もしないうちに漫画喫茶の受付で料金を支払っていた。
夜間清掃を兼任している店員が、若干、訝しげな顔を向ける。
つい今し方上がってきたエレベーターを呼び、1階のボタンを押した。
それと同時に、そうか、もしかしたら向こうが帰ってしまっている可能性だって大いにある、とその時になってはっとした。
5階から1階までの数秒、どきどきと心臓が高く鳴った。
エレベーターの扉が開き、前のめりで外に顔を出すと、若干チャラい茶髪パーマのお兄ちゃんがそこにいた。
「出てこないかと思ったわ。」
それはこっちのセリフですわと思ったが、エレベーターの数秒の心労と、私が漫喫に入ってからの数十分の不安とを比べたら、後者が圧倒的に勝ると思った。
しかも相手は、酔っぱらって携帯電話を失くし、終電を寝過ごしたにもかかわらず歩道橋の上で飄々とカップ麺と缶ビールを呑んでいるような人間なのだ。
自分で書いておいてなんだが、とんだ狂人であるし、そんな人間に興味をもつ茶髪パーマも、とんだ酔狂なやつだと思った。
わるくない。
なかなか、いい展開の夜じゃないか。
駅近くのホテルに向かい、入る前にコンビニで買い物をした。
水を飲んだ方がいいよと、2リットルの水を買ってくれたので、ありがとうとラッパ飲みする。
ホテルに入ったのは、もう午前3時を過ぎた頃だった。
6時過ぎには、職場へ向かわなくてはならない。
丑三つ時の独特なまどろみの中、服もそのままに大きなベッドに横になった。
すこしでも寝たほうがいいよと布団をかけられる。
「足、かして。」
私の汚い足をどうするのだもう好きにしてくれと思ったら、例のサンダルで靴擦れたところに絆創膏を貼ってくれた。
先程のコンビニで買ってきてくれたらしい。
「えー、ありがとう。」
と言い、そのままうとうとと、気付けば眠りについていた。
無機質なアラームの音で目が覚めた。
やたらと肌触りのよい布団だなここはどこだいと目をこすりつつ、つい数時間前からの出来事を思い出した。
おはよう、と、茶髪パーマのお兄ちゃんがベッドの反対岸で大きなあくびをしている。
あらやだもう朝なのですかっと、若干酔いが覚めた頭で、今更人見知りを発動させる。
身体を起こせば、昨日、布団に突っ伏した時のままの、サイケなシャツとタイパンツ。
足には絆創膏が貼られており、乱れた様子は何ひとつない。
この人はなにがしたかったのだろう。
否、何某かがしたかったのに成し得なかったのだろうか等と若干悶々とした。
なんだか申し訳ない気持ちになったが、同時に、なんとも胸があたたかく、不思議な心持ちだった。
茶髪パーマのチャラいお兄ちゃんが、コーヒー飲む?とたずねるので、うん、飲む、ミルクは入れる派と答える。
何某かを成し得なかったことに対しての遺恨や気持ちのザラつきを、向こうが微塵も見せなかったからかもしれない。
この関係を、なんとよんだらよいのだろう。
モーニングコーヒーをすすり、そういえば出勤時間が迫っていたと思い出し、立ち上がる。
いろいろとありがとう助かりました、と言うと、
「そうだ!連絡先。」
と、自分の名前と電話番号を紙切れに書いて手渡してくれた。
「携帯もどったら、絶対連絡してよ。」
と茶髪パーマのお兄ちゃんが言う。
「絶対連絡するよ。」
「そんなこと言ってー。また酔っぱらって、忘れたり失くしたりするんじゃないの?」
「忘れないし!失くさないもん!」
それちゃんとしまっておいてよと電話番号の紙切れを指さすので、目の前で見えるように財布に仕舞った。
今日は仕事が休みだという向こうをホテルに残し、ひとりふらふら駅へと向かう。
平日、通勤ラッシュで騒々しい品川の朝。
会社員ばかりの人混みの中、ひとりだけ異色の、サイケなシャツとタイパンツに、厚底サンダル。
彼の貼り付けてくれたかかとの絆創膏。
とてもよい天気で、夏はまだこれからなのだと騒々しいくらいに蝉が鳴く。
これだから、いきることはやめられないなあと、改札を抜けて職場へと向かった。
警察署に届けられた携帯電話が私の手中にもどり、紙切れの電話番号に一報いれたのは、それから数日後のこと。
それはまた、別のお話。
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