今夜、レコ発イベント。

小柳さんと出会ったのは、私がライブハウスに通うようになってすぐの頃。
高校生になりたての16歳の頃でした。
ギターウルフ、ゆらゆら帝国などを追いかけ、渋谷AXなど中型のライブハウスしか行ったことがなかった私。
ライブの際の対バンもしくは、横浜は関内馬車道のディスクユニオンで日本のインディーズCDをジャケ買いするのが、インディーズバンドを知る主な術であった。
その頃、U.F.O CLUBのコンピレーションアルバムvol.2をなんとなく購入。
このCDを出しているキャプテントリップレコードが、小柳さんが以前在籍していたレーベルであった。
11組1曲ずつ入っているCDで、おとぎ話や割礼、オシリペンペンズなど、今見てもすごくアツいラインナップ。
この中のスランキーサイドの1曲がめちゃくちゃ好きで、いつかライブに行ってみたいなあとぼんやり思いながら過ごしていた。
自宅にはパソコンもインターネットもなかった。
ある日、ローソンのチケット情報誌をなんとなくめくっていたら、まさかのスランキーサイドの文字が。
今振り返っても、ものすごい奇跡。
これは運命以外の何者でもないでしょうとチケットを購入。
2006年1月25日の下北沢シェルター。
スランキーサイド、鉄と鉛、不謹慎シンドロームのスリーマンだった。
ちいさいハコは初めてだったのでものすごい衝撃を受けたし、探し方すら分からずあれだけ焦がれたスランキーサイドのCDがずらりと揃っているのがたまらず、会場に着いてからずっと物販を眺めていた。
東京への行き来の交通費もかかるし、お小遣いも限られているので、CD1枚、買えるか否か。
おそらく、ものすごい眼光で1枚1枚吟味していたとおもう。
その時に販売していたのが、小柳さんだった。
手に取っていいですよ、と声を掛けて下さり、すこしお話をした。
そこからスランキーサイドのライブに通うように。
2、3回目に行った代々木ザーザズーのライブで、小柳さんがメンバーの皆様に私を紹介してくださって打ち上げに参加させていただくようになった。
スランキーサイドの対バンでダムダム団を知ったのだが、その頃はまさか自分がメンバーになるなんて思いもしなかった。
ここまでのひとつひとつがなかったら、本当に今が存在していないとつよく思う。

小柳さんのおうちに集まって、大きなスピーカーで音楽を聴きながら皆様とおいしいごはんを食べる会合にも参加させて戴いた。
人生で初めて日本酒を呑ませて戴いた、なんてこともありました。
姉曰く、
「あの時、じゅんの酒呑みの本能が目覚めたんだとおもう。」
らしい。
じゅんじゅんから切っても切り離せないお酒も、小柳さん仕込みだったのかもしれない。
また、コンラッド・シュニッツラー、エスプレンドー・ジオメトリコ、カン、フェラ・クティ、スーサイドなどなど、私ひとりでは絶対に知り得なかったであろうアーティストや音楽に出会わせて下さいました。
【▲小柳さん著書『クラウトラック大全』。私のような音楽知識のないにわかでも読めるものすごい1冊。】

小柳さんが独立され、
「じゅんちゃんのCD、出しましょう」
というお話は、実はとっても前から戴いていました。
昔のシングル、いわゆる短冊CDが可愛いという話をしたところ、なんと在庫をおさえてくださって。
ただ、私の中で、音源化というイメージがぼんやりとしていて、なかなか踏ん切りがつかず。
そんな煮え切らない私を急かすでもなく、
「機が熟すのを待ちましょう、こういうのはタイミングですから」
と仰って下さいました。
本当に本当に、感謝しかありません。
また、無善寺で見かけない子がいると思って声を掛けたところ、
「じゅんじゅんさんのツイキャスをみて、ライブ来ました」
という、とんでもない角度から登場した駄々ちゃん。
そして、そのお姉ちゃんのじゃ子様。
奇跡的な出会いと出会いが重なり、今回のCDリリースは、私にとって、ものすごいご縁の集合体なのです。
本日、レコ発ライブです。
予約なしでも大丈夫です。
どなたでもお気軽にご来場ください。
ご来場者特典などもあります。
先日、スランキーサイドのボーカル、ナベジさんのソロライブを観に阿佐ヶ谷ハーネスへ行ってきた。
久々に観たナベジさんは、相変わらずめちゃくちゃにカッコよくて卒倒モノだった。
初めて観た下北沢シェルターを思い出しながら、やはり私の快楽の頂点はライブしかないのだと改めて確信した。
正しいとか良いかとか、そういうのはよくわからなくて。
ギターの音に脳みそぶん殴られているときが一番の恍惚。
そういうのに触れていたいと同時に、そうありたいのかもしれない。
憧れとおなじ、ライブハウスのステージで、私に出来得るぜんぶをしよう。

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