ありがとう。
実家の飼い猫のコロが10日に亡くなりました。
同日の夜姉から電話がありました。
私は大学生の途中から家を飛び出した放蕩娘だったのだけれど、11歳の時にうちに貰われてきてから、たくさんかまって、かまいすぎて嫌がられることが大半だった。
たまに帰れば、力いっぱいのハグをして、さらに嫌がられたりもした。
推定22年という、猫にしては大往生。
完全家猫だったし、食べるものにも困らず、病にも付せず、最期を看取ることは出来なかったけれど、安らかに眠ることができたのかなという姿でした。
私が中学にあがるかなくらいの頃に、自転車のカゴに捨てられていたのを拾った方から譲り受けたコロ。
当時、不登校児だった私は、たくさんたくさんお世話になった。
前述のようにあまり好かれなかった私だけれど、コロと同じように、ふらふらのんびり、自宅で時を共にした。
馴れ合わず、癒し合わず、それがすごくありがたかった。
去年の9月に会ったのが最後で、その時に動画も撮っていたけれど、歳を感じない童顔で、子猫みたいな鳴き声で、全然、実感がない。
こういうときに、悲しいアピールをするのは苦手で、悲しみというものを伝染させてしまうのも嫌で、だからなるべく泣きたくないし、ありがとうって言ってにこやかに送りたかったけれど、なかなか、どうしてかな。
遺体をなでなでしたら、ふわふわなのに冷たくて、それまでなんてことなかったのに、涙が出てきて、すごく焦った。
うーん。
私は、まだ、全然なんだなあ。
遺骨を拾って、骨壷にいれた。
父に
「いくつか持っていくか?」
と言われたけれど、バラバラにしてしまうのはよくない気がして、まとめて実家に保管を頼んだ。
一番長く過ごした生き物の死だった。
納骨を終えて、父と姉とごはんを食べに行った。
ペットの死と家族の死は違うと父が言っていた。
家族の喪失感より、ペットの死のほうが少なからず軽かったのだという。
それを、意思疎通の適う相手でなかったからだと父は分析した。
しかし、私は、言語に限定してしまうのはいかがなものかと思った。
祖母が寝たきりで会話の出来なくなった頃、私が高校で描いた絵をベッドで見せたとき、祖母はおおきく首を横に振った。
私は困惑したし、どうしてよいのかわからず、だめ?と聞くばかりだった。
今思えば、心身の痛みや不具合などが重なったのかもしれない。
私は、そういう部分まで思いやる脳の回路もなければ、発想もない子供だった。
甘えていたのかもしれない。
その真相は、祖母が亡くなった今、答え合わせのしようがない。
話は飛躍するが、喪失感の深さは、血縁に準ずるのか。
私には、そうは思えなかったりする。
私自身、より身近な存在の死を体験したことがないので、明確に判断できない。
わからない。
でも、深さとか、広さとか、照らし合わせる必要って、ないのではないかな、と、思っている。
なんで、尺度で測ろうとするのだろう。
わからない。
そして私も、尺度のなかにいるような気がしている。
ぼんやりと焦り、このぼんやり具合が、モノサシ文化に付け入る隙を与えているのだろうなあなんて、うなだれたベッドの上で思考したりする。
よくないのかなと思いながら、
「じゃあ何に対してよくないの?」
と、残された鮮明な自分が声を挙げる。
なんで、飼い猫の前で泣いてはいけない、と顔を隠したのだろう。
負の感情を、どうして、出してはいけないなんて思うんだろう。
人に負を背負わせてしまうかもしれないから?
近くにいた家族のほうがもっとつらいから?
わからない。
わからない。
私は、"怪訝な顔を人に露呈する恐怖"が常にある。
だからこれ以上、私に苦言を呈させないで欲しい。
そんなことを願いながら沈黙を決め込んで、それで理解が及ぶのならこんなことになっていないのだろうと、何十回目かの堂々巡り。
最近へこたれてばかりで、どう考えてもよくないよねってわかっているのに。
すぐに人に対して、
「なんで?」
と思ってしまって、いけないなあ、と思う。
睡眠時間とストレッチの時間、そしてきちんと食事、趣味である調理の時間。
私が私の管理をしないで、果たして誰が私をスムーズに過ごさせてくれるというのだろう。
コロに、いつかさようならになるんだよと教えてもらったんだなと思う。
そう思いたいのに、そう感付く回路はギリギリ残っているのに、確信的電気信号がビビッとこない。
明日もこれが続くのだという謎の仮定に身を飲まれ、頭が熱を放出し切れていない証なんだと、頭ではわかっている。
心が発動しないのは、回路が正当でない証だ。
どこかでショートないし破裂している証だ。
いっそのこと破裂してしまえばよいのに、なかなか、どうして、破ってしまえないまま。
改めて、すこし余暇を残した予定を組もうね、と、自分に言い聞かせる。
ちゃんとしないを、する。
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