馬鹿みたいな世界で踊ってボサノナ。
朝イチTikTokというものを勝手に展開している。
寝起きで自分の好きな曲を掛けて唄うというだけのものなのだが、なんだかんだで続いている。
この間ビールの日に初めてご一緒した勝田さんが、
「好きな音楽なんですかって聞かれたらビートルズって答えるけど本当はアイドルが好き」
というようなことを唄っておられ、アカベコ並みに頭を振り激しく同意した。
演者さんあるある、『好きな音楽なんですか?』問題。
困ることではなく率直に回答すればよい話なのだが、やはりすこし悩んでしまう。
相手の期待も感じつつ、それに見合いそうな妥協案を探していると、なんだか自分がひどく素直じゃない奴に思えてきたりする。
私の場合は、
「浅川マキさん好きなんですよね?」
「ジャニスジョプリン良いですよね!」
と、最近はあまり言われないけれど、
「山崎ハコさんとかお好きなんですか?」
というお声掛けをよく戴く。
非常にありがたいことである。
当の本人は1ミリも知らなかったので、後追いで聴いて、カッコいい!!畏れ多い!!と萎縮した。
私は、自分が好きな音楽と演れる音楽が甚だしく違うので、そこがイコールになれる方を見るとすごいなあと思う。
そもそも、自分の好きな音楽とはなんなのだろうと思い返してみたのだが、アーティスト名で返せるのはポルノグラフィティ、ギターウルフ、スランキーサイドくらいである。
このアーティストが好きだ!と断言するには、発表曲の8割以上を網羅してライブを観ていなければいけないのでは、という持論がある。
そうでなければ、この人のこの曲が好きだと言うべきではないのか。
そういうカチンコチンの頭をデフォルトに、しかし人に打ち明ける事なくひとり悶々と生きてきた。
その話は置いとくとして、自分を構成する"好きな音楽"を今一度羅列してみるのは良い事のような気がした。
そこで、TikTokを使ってみることにした。
中には元々入っていない曲もあるのだが、とりあえず選択できる曲の中で、朝、自分の好きを想起して浸ってみる。
そういえばこんな曲も好きだったなあ、と思い出すのは、生産性のある振り返りなのだと感じる。
いやなものより、好きなもので1秒1分埋めていきたいもんね。
今朝はNona reevesの『Bossa nona』をチョイス。
本家はこちらのURL。
こころが緩む、心地良き曲です。
先週のビールの日は、新調したチャイナを着ました。
大学生時代のコピーバンドではチャイナドレスが定番でした。
懐かしいし、しっくりくる。
ソロライブでは、ベリーダンスの衣装を着てやっていた。
今週日曜に出させて戴く、高円寺ムーンストンプでのライブの主催、鳥井賀句さんのお店ではいつもへそ出しルックだった。
あれももう5年以上昔。
表現をする際、纏うものは少ない方が良い、という考えがある。
しかし裸になってしまうと、裸体の持つ情報によって、伝えたい内容が変わってしまう可能性が否めない。
視覚的な意味合いに深く触れない範囲で、自身が不快感無くのびのびと表現できるスタイルを模索して、多分今もそうなのだと思う。
それは顔が可愛くなければダメとか、スタイルが良くなければ認められないとか、そういうことでは無くて、至極単純なこだわりであって。
そういう部分がぶっち切りでぶっ飛んでいる表現者こそ、めちゃくちゃに面白いよなと感じる。
気を衒わない人が、結局一番狂っているし、美しい。
私がその部類であるのかと問われれば、やっぱりちょっと足踏みするところがあって。
きっと、まだまだなのだと思う。
この間、次の映画祭で撮りたい映像に必要なものをお借りしたいと相談に行った時、
「面白いことやりたいんでしょ?それで充分じゃん。」
と返されてハッとした。
ごにょごにょ御託を並べて、顔色を伺ってしまった自分を恥じた。
私のやることをおもしろいと思って疑わないでいてくれる人がいるのに、私が自信をもたないでどうするんだろうと思った。
思い返せばずっとそうだった。
私はどこまで恵まれているのだろうか。
そろそろ重い腰を上げて、わーっとやってしまおう。
と思いながら、今日もひとつずつ。
慎重極まりないのは抜けないらしい。
心がおもたいときには、身体が自分を大切にしてあげなくちゃならない。
丁寧に丁寧に、指と指の間にボディタオルを食い込ませる。
昨日までの皮脂が、組織が、粒子が、私ではないものが、一粒残らず除去できますように。
耳のうしろのあたりと脳天に力を込めて、目からエネルギー100%発信体に切り替えると、人の間にも道ができる。
雑踏に紛れるといつも思い出すこと。
小さい頃から知っていたこと。
私はもうすこし、私のもっているものを認めていい。
私にいいよって言っていい。
言い聞かせる。
追い込まない。
がんばらない。
必要なドキドキに純粋に、昨日まではここに置いて、また一歩ずつ行く道をえらんでいこうと思う。
自分のための日記。
と思ったけれど、そもそもが自分のための1秒。
自分の間口を狭めているのは、いつだって自分自身なんだよね。
よしまだ行ける。
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