改めまして、代官山ありがとう。
改めまして!
大山淳もとい、じゅんじゅん主演映画、『もうそろそろ音楽をやめようと思う』代官山シアターギルドでの初上映、ありがとうございました!
お写真はお客様が撮って下さった、じゅんじゅん感全開のじゅんじゅん。
これは大山淳でも小野容子でもなく、紛れも無くじゅんじゅんですね。
差し入れを下さいました方や、代官山価格のおビールをご馳走して下さった皆様も、本当に本当にありがとうございます。
全て全て、じゅんじゅんの血となり肉となり、私の身体が私だけのものではなくなっていくような、そんな喜ばしい気持ちです。
ご来場下さいました皆々様、配信ご覧戴きました皆様、今回行けないけれど是非観てみたいと仰って下さった全ての皆様、本当に本当にありがとうございました。
代官山シアターギルドの皆様、
そして、今回の上映、企画から運営まで中心となって動いて下さいました千葉さん、
お忙しい中、わざわざ2作目上映に駆け付けて下さったダイナマイト☆ナオキさん、
1日も欠かすことなく代官山に通い、明日が早くても疲れていても、一緒に大酒を呑み交わしてくれた加藤さんに宇宙ちゃん、
こんな素敵な空間へのきっかけを作り出して下さった小野監督、
全ての皆様に、本当に、本当に、ありがとうございました。
決起集会から約半月の間、たくさんの経験をさせて戴きました。
最初は正直、戸惑いのほうが大きかったように思います。
上映のご連絡を戴いたのが、9月のあたまあたり。
大丈夫なのだろうかと不安に思ってしまった。
というのも、撮影から2年以上、映画自体は完成しているのに、上映についての情報が一切流れて来なかったのだ。
「私の演技がよろしくなかったせいで、映画そのものがポシャってしまったとしか思えない。」
と、大好きな1作目の池袋ロサでの再上映にも怯えて伺えず、なんて有様。
私がお願いして出て戴いたエキストラの方々や、楽曲提供下さった演者さんにも、
「私のせいで、申し訳ない。」
と、ずっとずっとモヤモヤしていました。
映画を撮っているんです、と前職のパート先に残業できない理由を述べたばかりに、
「また大山さんは趣味で仕事を蔑ろにしている。」
と一部の方からの当たりが今まで以上にキツくなった。
そんなこんなで心が折れて、仕事を退職。
一時は心の病で四六時中涙が止まらず、仕事やライブどころか、大好きなお酒さえ、吐き気がして呑めなくなってしまった。
この映画に携わってから、私生活含めて、本当に色々なことがありました。
でも今回の上映会を終えて、
「すべてはこのためにあったのかもしれない。」
と感じたのです。
人生に於いて転んでしまったことを、どこか人や物のせいにしようとしていると気付いて、そんな自分に、一番嫌気がさして。
たくさん泣いて、たくさん苦しんで、たくさんたくさん、自分を責めた。
でもそれはきっと、今ある境地への試練のようなものだったんだね。
上映中の皆様の後ろ姿に胸が熱くなったし、ひとつひとつのご連絡に頬が緩んで、すこし泣きそうになった。
代官山へお越し下さった、すべての皆様。
行けないけどすごいね、がんばってねって久しぶりに連絡をくれた友人。
毎日毎日飽きもせず、下ネタを言い合って酒をカッ食らってバカ笑いしてくれた、加藤さんと宇宙ちゃん。
千葉さんとナオキさんのやさしい空気やお言葉。
全部全部愛おしくて、そうか、誰かや自分を責める隙もないくらい、私はいま、世界のすべてが愛おしいんだなあって気付いた。
いや、そうじゃない、みんなが気付かせてくれたのだ。
私ひとりだったら、ここまできちんと登ってこられなかった。
私はとてつもなく、幸せな人間だ。
今まで関わって下さったすべての方々に心から感謝して、これから先の人生、一歩ずつ、着実に進んでいこうと思います。
願わくば、私が乗り越えた経験を、ほかの誰かの平穏に活かせるよう。
ありがとう。
主演映画は次回上映未定ですが、
「観てみたい!」
「DVD化しないの?」
「東京以外でも上映してほしい。」
などなど嬉しいお言葉をたくさん戴いているので、どうにか次へと繋げていけたらと思っております。
今回の上映で、千葉さんはじめ、そろそろシリーズ関係者の皆様との絆も深まり、新たな挑戦への気持ちも共有出来ました。
また絶対、ご来場のお客様も一丸となれるような、素敵な時間が作れるなと確信しております。
その時まで、身体と心を大切に。
笑顔で再び出会える日を、楽しみにしております。
進展があればまたお知らせ致しますね。
昨日はいつもより早めに目覚めた。
歯磨きをして、お賽銭だけポケットへ入れ、朝のお散歩へ。
朝お参りの時は、スマホとイヤホンとお賽銭、あとは鍵だけ持って出る。
お財布や鞄があると、あれを買おう、どこに寄ろうなどと考えてしまうからだ。
"なにもしない"に専念するために、そもそもの選択肢を所持しないというのも、ひとつの手段。
仏教的な方法論と思う。
引き算をするとそれだけ乏しくなってしまうのではと思いきや、実は人間、そんなにたくさんを同時には出来ないのだと最近分かった。
それなりにこなせてしまうから気付かないだけで、慣れという生きる術に隠れ、人は日々、多くのことを同時に抱き抱え、同時に進行させている。
ひとつひとつの質や結果がイマイチでも、なんだかんだそれなりに済んでしまうから、気付かないだけで。
取りこぼしたものこそ、実はとても大切だったりする。
勤め人でない今だからこそ、気付けた事なのだと思う。
生きていくために必要な仕事に追われ、ついつい忘れていってしまう何某かは、当たり前のようにあって。
そんなとき私が、誰かの心の備忘録に成り得たら、ギスギスとした毎日がすこしだけ楽になるのでは、なったらいいなあ、と思いながら過ごしています。
全てのあなたのために、そして誰よりも自分自身のために、健やかで彩りある毎日を送ろうと改めて思う。
開門すぐのお寺は、お勤めのお経と鐘の音が響いていて、いつにも増して神聖で粛々としていて、どこか温かみがあった。
境内の枯葉を掃き掃除している女性がいて、挨拶を交わす。
大変ですね、と口に出そうとして、留まった。
枯葉の掃き掃除=困難なものと簡単に決めつけてしまうのは、豊かな感性とは言えないような気がする。
部屋を掃除した後のサッパリとした気分はとても爽やかだし、少々汗ばむ疲労感は、そのあと入るお風呂をより気持ちの良いものにしてくれる。
私自身、そう感じるようになってから、それまでやり方もわからず毛嫌いしていたお掃除が大好きになった。
固定観念や世間の抱える印象は、当たり前に根底に刷り込まれていて、それは社会で生活していく上で、挨拶と似てとても大切な共有意識と思う。
けれどもそれらを、そのままの形で自分の中にインプットしてしまうと、楽しめるはずのものも取り逃がしてしまうような、そんな気がしている。
正社員でないと良くないとか、はやく結婚しなくちゃいけないとか。
そういうのを疑わないまま、
「あなた、駄目じゃない。」
と人に突き付けること程、盲目なことはないのではと思ったりする。
またその発言に対して狼狽するということは、自分自身の価値観が確立されていない証拠であって。
基準があっちこっち、株価のように上下していく中で暮らすのは並大抵の事ではないし、平穏とは程遠いだろう。
人間が生きる意味は、正直言って無いと思う。
生まれたという揺るがない事実が存在しているだけで、生きていく意味なんてない。
だからといって、死ななきゃいけないわけでもなくて。
生を受けたこと、生きてゆくことに、そもそも良し悪しなど存在していない。
それならばいっそ、長いようで短い人生の中で、何に意義を見出して生きていくかだと私は思う。
人を憎んだり、つまらないと言いながら死に向かうのか。
大切なものや人、生きていることに感謝をしながら、いつかやってくる終わりまで軽やかに歩みを進めていくのか。
私は、後者でありたいと願っている。
「ああまた心をカサつかせてしまったな。トゲを生やしてしまったな。」
と、穏やかな道を踏み外しそうになる度、そっと手を添えて、心を落ち着けて、改めながら、確かめながら、一歩ずつ。
毎日が練習の繰り返しで、それは簡単なことではないけれど、とても単純なことだと、最近ようやく気が付いた。
とても有意義で、満たされた毎日です。
すべてのひとやものに、今日もありがとう。
明日は無善寺レギュラー日、11月のカレーパーティーライブです。
風の谷レコードさんがゲスト枠でご出演下さいます。
楽しみがすぎる。
ここ数日お酒を抜いて喉のケアを頑張ったおかげで、酒焼けもかなり回復しました。
なにを唄おうかなあ。
無善寺をお借りしてのじゅんじゅんリラクゼーション整体も、明日はありがたいことに、予約枠完売。
始めたばかりだというのに、ご予約やお問い合わせをたくさん戴けていて、嬉しい限り。
HPに整体のページを作ろうと頑張っているところです。
少しずつ新しいサービスなども考えているので、気になる方は、是非お気軽にご連絡下さいね。
明日は高円寺無力無善寺にて、お待ちしております。
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