嘘つき。
小学4年生の頃、クラスメイトだったあゆみちゃんが引越しをすると聞いた。
北海道という、子供には想像のつかないほど遠くで、もう2度と会えないんじゃないかと皆が思った。
サンリオのかわいいポーチ、宝物にしていたアクセサリーなど、あゆみちゃんにそれぞれ思い思いのプレゼントを用意して渡した。
しかし、あとになって、お父さんの転勤がなくなり、引越しもしないことになったとあゆみちゃんから聞いた。
私は、またいつでも遊べるなと思い、嬉しかった。
ところが、周りの女の子たちは、"嘘つきだ"とか、"プレゼント返して欲しい"と怒っていた。
死にたい、と思った時、いつもそれを思い出す。
自分の症状が、果たして本当に症状であるのか、自信が無い。
食欲のない人を装っているんじゃないだろうか。
不眠症の振りをしているんじゃないだろうか。
これらは本当に、私の中から湧いて出たものなのだろうか。
本当に病なのだろうか。
もしそうではないのであれば、いわゆる仮病であって、茶番であって、これほどまでに不愉快なことはない。
自分がそんなことをしているかもしれない、と思うと、悍ましい。
そういう可能性がある以上、余程の確信が無い限り、"食欲がない"、"私は不眠症だ"、とはっきり公言出来ない。
そんな御託を並べて明言出来ないのは、心のどこかに偽りややましさがあるからではないか。
嘘つきだ。
私は果たして本当に、希死念慮に駆られているのだろうか。
"死にたい"と口にしたとして、受け取った言葉や想いや優しさは、死ななかったらどう返せばいい。
"返して欲しい"と怒られても、私に支払える対価はなにもない。
だから、死にたい、と思っても、口外してはいけない。
自分の意識があるうちは、100%嘘つきになる。
思うだけ、言うだけは嘘つきだ。
苦しい。
けれども、口にすれば嘘つきになり、返せるものもなく、生きることがより一層つらいものになる。
堂々巡りの八方塞がり。
嘘つきにはお似合いの末路なのかもしれない。
中学校時代。
朝、身体が重たくて起き上がれなかった。
学校へ行こうとするが、通学路を歩くだけで冷や汗が止まらない。
教室に入れば尚のこと、顔を掻く程度のいち所作も、だれかに見られている気がして動けない。
身体も心も、皮を剥がれたように、空気が滲みてヒリヒリと痛む。
具合が悪いと言って度々休んだ。
休めたから良かったという気持ちは無くて、熱もない癖に学校を休んでしまった罪悪感に、1日中苛まれた。
自分を変えるとっかかりもきっかけも見つけられないまま、翌日も同じことが繰り返された。
いじめがあるわけでもないのに、なんで学校へ行かないのか、何度も問いただされた。
不登校の生徒は問題児なのだから、怒られるし、悲しませる。
当時は詳細を説明出来る程、自分の症状を俯瞰出来ていなかった。
何が起こっているのか、自分にもまったくわからなかった。
「鼻炎とアトピーの飲み薬の副作用で、眠気がすごくて起きられない。」
と答えた。
出来得る限り論理的な答えでなければ、納得されないと思った。
でも駄目だった。
副作用は甘えになった。
仮病と思われていた。
それは肌でわかった。
「どうして行かないの?なんでなの?」
と何度も何度も問われた。
私自身、どうしてなのかわからないから答えようがなかった。
黙り込んでいるせいで、余計に相手の気持ちを煽って、いろんな言葉をたくさん浴びた。
わからないことを、わかってほしかった。
でも、むつかしい。
みんな、自分の思いをわかってほしいから。
自分の思いをわかった上で、納得のいく応えがほしいから。
裁判というものが存在するように、まったく別々のわかってほしい気持ちは、わかってほしいままの形で調和し得ない。
私はうつむいてなにも言わなかった。
反論という反撃をしたくなかったし、そもそも主張する武器もなく、止むを得ず選んだ沈黙は不正解で、さらなる不和を生んだ。
人と人が理解し合うのは、とても難しいことなのだと知った。
私はどうして不登校児になったのか、いまだにわからないし、仮病なのかもしれないとずっと思っていたし、それは確認のしようがない。
嘘つきだったのか、なんだったのか、今も昔もわからない。
当時、心療内科に行くことはつよく反対されていた。
姉もおばさんも、精神科の薬を飲んで大変だったから。
期待に応えなくてはいけなかった。
だから私は、病気じゃなくて、仮病の嘘つきであったんだと思う。
そう在ろうともしたんだと思う。
わからない。
確信がない。
わからない。
自分だけがつらい訳ではなく、みんながそれぞれ大変な思いをして生きている。
それを分かった上で、つらいと宣う烏滸がましい自分に辟易するし、そもそもつらいというのが本当であるのか否か、自信がない。
むつかしい。
がんばって縁の無いよう立ち回ってきた心療内科に大人になった今通っているのも、自分の頑張りが足りなかったからではないか。
なぜ、仮病の嘘つきを墓場まで持っていけなかったんだろう。
そうしたら、だれも悲しませずに済んだのではないか。
わからない。
私は病気なのだろうか。
それとも嘘つきなのだろうか。
身体的症状は、全体的に緩和しつつある。
身体が重たくて疲れるのと、たまに心臓が激しく鳴る以外は、胃痛や頭痛も許容範囲内。
横になっている時の目眩も薄まり、瞼の裏側の眩しさもなくなった。
なんだったんだろう。
あんなの初めてだった。
初めてだったりわからなかったりすることは、いくつになってもある。
中学時代と違うのは、経験則も選択肢も無数にあるということ。
心に澱がたまるから、調子の良くなったときを見計らって、少しずつ部屋の掃除をする。
TVなどから、要らない知識や情報を頭に流し込み、少しでも気を紛らわせる。
突発的な涙は、止めようと我慢せず、少し落ち着くまで流し切る。
なるべく食欲を刺激するよう、自分の食べたいものを探る。
正しいかどうかはわからない。
でも少しずつ。
暗闇を素手でまさぐるように、少しずつ、その時、出来ることをする。
朝ごはんを食べよう。
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