バンド・電氣ブラン創造記〜大体大泥酔〜

酔っ払って買ってきた値引き食パンでピザトースト。
週末のフードの準備もあるので、冷蔵&冷凍庫のストックは増やさぬように気をつけている。
うちは一人暮らしにしては食糧がかなりある。
米、パスタ、素麺、袋ラーメン、缶詰などなどが常に常備してある。
加えて冷凍ストック。
非常時には1週間くらい困らないのでは。
意識して使っていかないと消費期限が切れてしまう。
多少切れてても食べちゃうけどね。
自分が食べる分なら、余程でなければ気にしません。
勿論、人様に出すときはちゃんと仕入れているので安心して下さい。
実家が常に食材いっぱいある家だったからだと思う。
ついつい買い込んでしまう。
冷蔵庫パンパンにしちゃうのは母からの遺伝。
最近やっと、買わないという選択が出来るようになってきた。
売り場でときめいた心を鎮めるのは、欲望との駆け引きだったりする。
やはり、心の余裕が大きく影響しているのだと思う。
買い込み過ぎて、食材をダメにしてしまう事はほとんど無くなった。
えらい。
丁度良い機会なので、期限チェックして消費してしまおうっと。


昨日また、作品ページを更新しました。
スマホから更新したので、レイアウトとか太文字とかが編集できなかった。
また今度、パソコンさん使える時に整えます。

[▲学祭野外ステージのチラシ。私が描いた。結構特徴捉えていると思う。後輩たちからは、自分だけ可愛く描きすぎだ!と非難された。]

電氣ブランでの『腐りかけのメロディ』リハ音源。
大学の防音室で録りました。
電氣ブランは、ギターボーカル私、ベース大山くん、ドラムわたるちゃんの3人で始めた。
大山くんとわたるちゃんは、同じ大学の後輩。
同時加入していた重音部という音楽サークルで出会った。

入学してすぐに重音部に所属したが、当時はDJの割合が多かった。
一部バンドの先輩もいたが、めちゃくちゃ上手いので恐れ多くて話し掛けられない。
辛うじて同年代のメンバーをかき集め、重音部恒例の新歓オールナイトライブにコピーバンドで出演した。
DJの人たちはいわゆるちょい悪な集団で、できれば関わりたくない感じであった。
酩酊して記憶がスッパリなくなったと思っていたのだが、数年後に友達が、
「じゅんじゅんのZIMAに先輩がなんか入れてた。」
と教えてくれた。
なんか入れられたZIMAを呑んだ私は、会場だったクラブの螺旋階段をエクソシストばりのヤバさで転がり落ち、悪事を働いた先輩達が、
「死んでないよね?」
と顔を青くしていたという。
非合法のなにかに関わったのは、それが最初で最後。
実際に確認した訳ではないので、クッピーラムネとかだったのかもしれない。
次に気が付いた時には翌朝で、クラブの入り口にしゃがんでいた。
目の前で同期の三村くんが真っ青な顔をしてうずくまっていた。
身体が弱いらしく、オールが相当キツかったらしい。
私は、
「三村くんは肌が白くてきつねに似ていて、綺麗な顔立ちだなあ。」
等と呑気に考えていた。
クッピーラムネの余韻だったのかもしれない。

そんなこんなで、同じ代の部員は、1年後にはとほんどいなくなってしまった。
2年に上がり、1年生を迎えての新歓呑み。
バンド志望の子が沢山来てくれた。
私は数少ない2年のバンド先輩枠だったのできちんとせねば!と思っていたのだが、案の定泥酔し、序盤から先輩の地位を失った。
美大は浪人がデフォルトのような所があるので、後輩が同い年、歳上の事も多かった。
そんなわけで、各方面から早々にタメ口をきかれる私。
そんな中、きちんと"じゅんじゅん先輩"と呼称し、敬語を使ってくれていたのが、大山くんとわたるちゃんであった。

1年の秋に、
「コピバンじゃなくて、1人でもいいからオリジナルやりたい。」
とライブハウスで弾き語りを始めた。
やっぱりバンドでもやりたいと触れ回っていたところ、快くメンバーを名乗り出てくれたのが2人だった。
大山くんはパッと見ヤカラ感がすごいので、"親分"というあだ名で親しまれていた。
私と同じくポルノグラフィティ好きで、私好みのよく動くベースラインを弾く。
あと、苗字が同じで顔もちょっと濃いめなので、兄弟に間違われる事も多かった。
よくライブハウスで、
「弟の拓哉です。」
と言ってネタにしていた。
わたるちゃんはジャズ畑の人で、ドラムがとても上手。
私の下手な説明でもきちんと形にしてくれた。
実はサックスも吹ける、すごい人。
痩せているのに、ごはんをめちゃくちゃ食べる。
多分胃下垂なんだと思う。
機材の移動や遠征などの車は、いつもわたるちゃんが出してくれていた。
少し前まで新宿motionで働いていたが、今もまだいるのだろうか。
ちなみに2人とも完全なる下戸なので、酒は一滴も呑めない。
ライブの後、大泥酔した私の首根っこを大山くんが引っ掴み、わたるちゃんが車で送ってくれたりもした。
今考えると、よく私とやってくれていたなあ。
[▲スタジオ練習。確か町田ゲートウェイ。左から、わたるちゃん、中田くん、私、大山くん。ガラケーの頃なので画質がめちゃくちゃ悪い。]

新宿紅布での初ライブ後、しばらく3人で活動していたが、私のエレキがお粗末過ぎるということで新しくリードギターが加入。
同じく重音部後輩の中田くん。
見てくれが完全にイエス・キリストで麺食らったが、中身は挙動不審なヒッピーだった。
どちらにせよ、ちょっとヤバいし面白いので即採用。
一浪しているので、現役生の私と同い年。
あだ名あるあるで、部内では"中田氏"と呼称されていたが、本人的にはすごく嫌だったそう。
今回載せたのは、その中田くんが加入してまだ間もない頃の音源である。
数ヶ月してまた3人に戻ったので、初期4人編成の貴重な音かもしれない。

一発録りだったけど割と良い音で録れたので、私がPVっぽい映像を付けてUPした。
実家のデスクトップのMacのカメラで写真を撮り、加工して編集したもの。
全部実家のキッチンで撮っている。
我が家の愛猫、コロちゃんも映っています。
自分で作った中では、今までで一番編集に凝ったミュージックビデオでは。
野毛のバーで呑んでいた際マスターに見せてと言われてお店のモニターで再生したら、偶然居合わせた映像関係のおじさま達に罵倒されてビビった。
本職の方々からすると、当時流行り始めの素人でも簡単にそれっぽく作れる映像編集ソフトとか、癪に触るみたいだった。
ブチ切れで店を出て行ってしまい、ポカンとする私。
マスターがごめんねとすごく謝ってくれたけれど、いやいや寧ろこちらこそすみませんと謝った。
故意にではないが、お客様を帰らせてしまったので申し訳なかった。
罵倒された事に対しては、不思議と、怒りとか悲しみは沸いてこなかった。
「それが負の感情だとしても、そんなに人を突き動す力がこの映像にあるとは思わなんだ!」
とちょっと感心してしまった。
まあ、お酒も入っていたからね。
そんな事もありました。
重音部夏合宿の写真。
後輩が撮ってくれたのかな。
最終日の夜に行われたライブの時のじゅんじゅん。
当時、大学3年生。
画質が悪いせいもあるけれど、全体的に今と全然変わらないような。
長野の音楽スタジオ付ペンションをお借りして、みんなでわいわい楽しかった。
呑み放題だったので、案の定大泥酔。
「じゅんじゅん先輩!」
という声ではっと目を覚ましたら、上から覗き込む形で、
「じゅんじゅん先輩、大丈夫ですかあ!?」
と後輩ちゃん。
トイレの個室の床に器用にギュッと詰まって寝ていたらしい。
朝になってもベッドに戻らない私を心配し、相部屋の後輩ちゃんが見つけ出してくれたのだった。
個室を出て、
「ありがとう!大丈夫大丈夫!!」
と返し、ポケットから出てきた昨晩の食べかけウインナーを爆笑しながら食べた。
後輩ちゃんは苦笑いをしていた。
全体的に、今と全然変わらないような。
大学の友達が撮ってくれたライブの写真。
Facebookに上げてくれたのを見つけてきた。
卒業前かな。
留年したから、卒業1年先になったけど。
今よりもう少し髪が長くて、姫カットでした。
バンドの佇まい、カッコ良さげ。
良きですな。
今はダムダム団として、別のベクトルでカッコ良いけどね。
写真を撮ったら撮りっぱなしで、きちんと保存しておく習慣がないため、当時の写真はとても少ない。
音源も、同じく。
ちゃんと残しておかなくちゃなあ。
と思いつつ、iCloudだのハードディスクだの全然わかんないので、未だにそのスタイル。
まあいっか。
生きていれば、また撮れるでしょ。


思いの外回想録が長くなったので、今日はここまで。
基本的に、日記に書く事がなくて困ったりはしないのだが、昔の話だと余計にどんどん書けてしまう。
これくらいMCもするすると話せたら良いのだが。
構成や展開を重んじる私には、日記という形が丁度良いのかもしれない。
思い出に浸りました。
明日は朝から通院。
最近ソリティアにハマって夜更かししがちなので、スマホポイしてはやめに眠ろう。
おやすみなさい。

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