カウンセラーと私と。

2週間に1度の通院。
いつも通りの問診。
話そうと思っていた事柄を、また話しそびれてしまった。
あれこれと頭の中に用意してまとめていても、いざ診察室で先生を前にすると、
「わざわざ口に出す程の事でもないのでは。」
「そんな事伝えてなんになるんだろう。」
「自分で思っているより的外れな話かもしれない。」
と喉の奥に引っ込んでしまう。
私の病気の為の診察なのだから、きちんと伝えなくては進展するものもしないのは重々承知している。
いい子でいようとする必要は無いし、寧ろ治療の妨げになる。
わかっているのだ。
打ち明けないのは、悪い癖。
先生の勤務の曜日が変わるらしく次の予約をどうしますかとか聞かれたが、そのままの曜日で大丈夫ですと伝えた。
今の先生が嫌だった訳では無い。
ただ、
「とくに問題ありません。」
と毎回版を押したように微笑んで答えるだけの私が嫌になった。
何が問題なのか、何が改善されたのか、掴みどころの無い患者である事が申し訳なかった。
たとえ誰が相手でも、胸の内を伝える事が難しい私の問題。
その問題をどうにかするためのクリニックであると、頭では充分わかっているはずなのに。
心のマイナスのでこぼこを、人に伝えるのがとても苦手だ。
それが医療機関だとしても。
自分の弱みを他者に打ち明けて、弱さを認めてしまう事でそれに飲み込まれてしまうのが怖いんだと思う。
そうやってギリギリまで溜め込んで、爆発するか、病気になる。
自分で選んだ事なのに、今日まで診察してくれた先生に申し訳ない気持ちと、今回もまた打ち明ける事が出来なかったと憂う自分がいる。
絶妙なバランスで成り立っている私の構造を暴露し、そこに治療というメスを入れて、果たして根本的改善に繋がるのか。
一時的に崩れる事態は免れないだろうと思うと同時に、さほど何ということでもないのではと思いもする。
そもそも、胸の内をきちんと言葉に乗せられる気がしない。
これまでの自分の性質を鑑みるに、仏教や芸術といったものに触れながら自分の意識や態度を改めていく方が、前向きに取り組める気がしている。
来週からは、新しい先生の診察。
期待をし過ぎず、閉ざし過ぎず。
何より自分を責め立てることのないよう付き合っていきたい。



カウンセラーという存在と初めて対峙したのは、小学生の頃だった。
学校に通えなくなった際、区役所の不登校向けカウンセリングを勧められて行ったのが最初。
予約を取り、資格のあるカウンセラーが個室で話を聞いてくれる。
30分くらいだったろうか。
区役所の二階の端に、2m半程の衝立で囲まれた空間があり、中にはいかにも事務的な机に向かい合う様に椅子が置かれている。
後付けで設置された部屋なのだろう。
上部は吹き抜けだが比較的高さがありしっかりとした衝立だったので、外は気にならなかった。
その時は、以前教員をされていたのかなという雰囲気の年配の女性だった。
区役所なので公務員なのは言うまでもない。
にこにこと話し掛けてくるが、自分の型のようなものを持っている印象で、ただでさえ人と話すのが苦手な私は萎縮した。
挨拶程度の対話でも、その人のなんとなくの部分は漏れ出てくるものなのだ。
そういうのが、時折、ひどく眩しく鈍く神経に響く。
彼女は子供に対するに相応しい態度で、
「なにをしましょうか。じゅんちゃんは絵が好きなのよね?」
と言って、紙と色鉛筆などを机に用意してくれた。
わあいと言って齧り付くような歳でもなく、好きに描いてねと促されて筆を取った。
その時、羽根が折れて血が出ている人の絵を描いた。
別に同情を誘った訳でも何でも無く、私はそういう人間だっただけだった。
好きに描いてねと言われて描いたその絵を、後から精神分析されて酷く不愉快な思いをした。
向こうは仕事であるのだし、私が描いたものが常軌を逸しているのも一目瞭然で、当たり前の流れであったとも思う。
しかしながら、
「ここで話した事は一切口外されないので安心して話してね。」
と言われていたのに、どうして母親に、私の描いた絵とそれを元にした心理学的見解を告げ口したのか、その時の私はショックというより怒りを覚えた。
私の幼稚園児の頃のスケッチブックには、セーラームーンと十字架の刺さったお墓の絵が沢山描いてあった。
そういうものを、単純に選び取る人間だっただけなのに。
そんな人の成り立ちも知らずに、一部分だけを切り取って心理学の論上で解析され、腹立たしい事この上なかった。
次にカウンセリングに出向いた際、50問程の短い質問文に当てはまるか当てはまらないかを記入する心理テストをやらされた。
当時、中学生の男の子が乳児を殺害した事件が話題となっており、保護した後精神鑑定で用いたとテレビのニュースで放送されていたものと同じだった。
学校に通えず、普通じゃない絵を描いただけで、私は犯罪者扱いなんだなと思った。
そして、目の前に居る私と目を合わせるのではなく、机上のそれらを通して私の根幹を探ろうとしてくる姿を見て、心底馬鹿馬鹿しいと思った。
普通でない私が、恐ろしいのだろうか。
人を殺すと思っているのだろうか。
私は特筆できるような発言もせず、敬語を使いお行儀良くカウンセリングをこなした。
それが最初のカウンセラー。
そこは長く通う場所ではなかった為、数回行った後、他の自立支援スペースに通う事となった。
数年後、そのカウンセラーの女性から葉書が届いた。
元気にしているかの旨と、
「心遣いが足りなくてごめんなさい」
という一文があった。
葉書の真ん中には千代紙で折られたこけしの女の子が貼られていた。
絶対に許さない、とは思わない。
でも、彼女の立場や環境や人生を慮るほどの視野は小学生の私には無く、その時受けた衝撃や怒りや絶望は、もう今の私の一部として埋め込まれて剥がせない。
私には、手紙の返事を書く事が出来なかった。
彼女は心理学で読み解く以上の宇宙が私の中にある事を知らなかったし、私は自分の目に映る以外の世界の広さを知らなかった。
ただそれだけのこと。


「じゅんだけは、絶対に心療内科に行かせたくない。」
と言われて育ってきたので、私もそれを忠実に守り、自立支援や学校所属のカウンセリングに通った。
不登校だったけれど、精神的病ではないという一点だけが、私に残された親孝行であり唯一の救いだと、最期の砦にしがみつくような気持ちだった。
最初のカウンセラーを含めて、3人の方にお世話になった。
2人目の女性、城谷先生が、一番好きだった。
2週間に1度、2時間程を城谷先生と2人で過ごす。
複数人が大部屋で過ごすクラスもあったが、一番最初のカウンセリングの引き継ぎなのか、"他者に危害を加える可能性がある"と判断され、グループクラスには入れなかった。
元々大人数が苦手なので逆によかったが、
「万が一問題を起こしたらうちでは対応出来なくなります。」
と念を押された際、
「やっぱり犯罪者扱いなんだな。」
と改めて思った。
普通ができない人間は、劣等感を抱えなければいけない決まりなのかもしれない。
問題を起こす気は毛頭無かった為、はいと答えていつも通り行儀良く過ごした。
良くない印象は、膨大な当たり前の平穏により漸く薄まるもの。
自分は何もしていないです!と身の潔白を糾弾するだけ、悪しき印象を引き合いに出してしまいマイナスになる。
既に存在してしまったイメージを遠ざける為に必要なのは、裁判のような一時的な勝負ではない。
とにかく時間が掛かるのだ。
人からの悪い印象を払拭するには、日々を堅実に積み重ねる他ないのだなとこの時学んだ。
城谷先生は、元々音楽の先生だった。
音楽が好きだという私にピアノを弾くよう促してきたが、私は弾けませんと頑なに拒否した。
「弾けなくてもいいのよ!押せば音が出るんだから。好きな音を押せばいいのよ。今の気持ちを音にしてみて。」
と明るく背を押され、仕方なく鍵盤に指を乗せた。
高音と低音を、いくつか交互に。
リズムはかなり遅く、一定ではない。
しんと静まった部屋に、張り詰めるような高い響きと、水の底にたまる泥のような低い音が空気を震わせた。
私が鍵盤を押し終えると、城谷先生が、
「そうね。つらかったのよね。」
そうね、と小さく呟きながら泣いていた。
絵を描いた時も、ピアノを奏でた時も、私は私のままだったが、今度はなにかが伝わったのかなと思った。
伝えようとか助けてとかを乗せた覚えは全く無いが、私のそのままの吐露の中からすくい取ってくれたのかな、と感じた。



とうとう限界が訪れ、長年の誓いを破り心療内科に通い出したのが去年。
その中でまた、薬だけは飲まないという新たな砦にしがみついている。
そんなに沢山のカウンセラーや先生に掛かってきた訳ではない。
いわゆる普通の人よりは、少し多いかもしれないけれど。
人見知りだったり人の性質に過敏な人間は、心を許せる人間を見つけるのにも一苦労だったりする。
それを医療機関の窓口に絞れば、尚の事。
私は幸い、もうひと押しで自滅してしまう程の病気ではないが、そういう状態で合う病院や医師を探している人もいるのだろうなと思うと胸が痛い。
直接的な手立てが出来る訳では無いけれど、誰にも打ち明けられない胸の内がリンクすると、
「あそれ私もそうです。」
と少し気が楽になったりする。
日記に自分の克明な記述をするのは、自身の心の整理と記録の為であり、まだ通じていない誰かや、普段触れられない他者の心の奥と共鳴したい、と思うから。
かもしれない。
私だって心の天気が悪くなれば完璧に閉ざす事だって山程ある。
けれど、こんな事を思った、とか、こんな事があった、という足跡の線路さえ敷いていれば、いつか何かのタイミングで、誰かと通じ合ったり、少し心を軽く出来たりするんじゃないかな。
いつかの誰かや、その時のため、そして何より自分自身のために。
お昼は冷やし味噌ラーメン。
暑苦しい日に冷たいもの、美味しいなあ。
水分塩分補給を忘れずに過ごさなくてはね。
今日は練習してきます。
診察後若干泣きそうだったのが嘘のようだ。
人間は単純且つ面倒な生き物だ。
がんばってきます。

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