心のキャパシティとショック療法。〜島らっきょうの天ぷら作った〜

私は私という地軸から、観点をずらしてしまう傾向にある。
己を中心に存在している世界であるのに、自分がその主である事を意識の上で忘れてしまう。
色々な人の気持ちの波に乗り、気付けば自分自身の心が取り残されている。
一定の距離離れてしまうと危険信号が出されて、私はまた慌てて、自分自身のあるべき場所へ踵を返す。
目の前の小さな物事に逐一翻弄されてしまうのは、自分の人生に腰を据えていないからだと思う。
それは、いわゆる自己中心的思想とは違う。
私は私として存在し、見聞きをし、世界を見ている。
そしてそれらに対して覚える感情や見解を出せるのは、私以外の何者でもないのだ。
否が応でも纏わり付く自我のご機嫌を上手いこと取りながら、バランスを取って生きていくのが人の生だと思う。
しかし私は、自分以外の人や物に、気を遣い過ぎる節がある。
自分にとても自信が無い。
というより、自分が主張する何某かによって、他者を否定したり異論を唱えて気分を阻害するような事態は避けるべきだという自論がある。
それはある意味で、私の生き甲斐でもある。
しかし、その"他者を揺るがしたくない"という度が過ぎて、自分の強い感情や違和感を心の奥に押し込めてしまう事が、とてもよくある。
心の限界がきて、ああもうだめですとならない限り、私はニコニコと対応してしまう。
その塩梅は、未だに押し問答で探っているところ。
そういった心の齟齬により生じたストレスを、どうにかしなくてはならない。
酒を呑む事で過敏過ぎる感覚を麻痺させたり、唄う事で放出したり、そういう事をしてきた。
美味しいものを食べて嫌な気持ちを払拭するという心の転換は、とても素晴らしいものだと思う。


ふと、昔の自分の事を思い出した。
「悲しんだり、慌てふためいたり、そういうとんでもない出来事に心が揺らいでしまう時は、もっととんでもないハプニングを起こせば、以前の最悪は大したものではないと思える。」
そういった事を人に話していた頃があった。
先の転換を美味しいもの療法と称するなら、ショック療法とでも言うべきだろうか。
根本的に物騒でバイオレンスな思想の持ち主なんだなと改めて思う。
同時に、そうする事でしか対処出来なかったのだな、と少し可哀想にもなる。
そういった療法を自覚せず最初に行使したのは、小学生の時だった。
二階建て一軒家だった家の階段から、わざと転げ落ちてみた。
何回も、何回も。
衝撃と共に床に伏し、ジンジンとする身体の痛みに、抱えていた感情や脳の絡まり全てがぼんやりとして、少し和らいだ気がした。
痛みが気持ちいいとか、嬉々としてやっていたわけではない。
階段の上から、いくぞ、やるぞ、落ちるぞ、と思いながら、すごく怖かったし、逃げ出したかった。
落ちれば、とても痛かった。
打ちどころが悪かったら死ぬんだなと思った。
でもそれが重要だった。
痛みを感じている時だけは、他の抱え切れないものに意識を向けずに済んだ。
それどころではない、という事なのだが。
とはいえショック療法の全てがバイオレンスな訳でもない。
初めて大好きなバンドのライブに行ったのも、ドイツへ1人旅したのも、その1つである。
大泥酔して記憶を飛ばして泣きながら唄っていた頃は、毎日毎日ショック療法で保っていたんだと思う。
誰から見ても、普通じゃない。
生命の危機や、新たな経験に翻弄されるといった免罪符を行使して、今ある苦しみから逃れた。
もう限界だと思う心には、違う形で更なる極限を与えて自己のキャパシティを広げていかなければ、ずっと限界のまま苦しむ事になる。
そのうち、心があふれ出して生きていられなくなる、と薄ら気付いていたのだと思う。
そういうショック療法を行使する前は必ず、破裂しそうな心拍を宥めるように、
「死ぬか、やるか。」
と頭の中で唱え続けていた。
私には、今すぐ死ぬか、目の前の経験を経て死ぬかの選択の余地がある。
どうせ死ぬなら、何かやってからでも遅くはないだろう。
事が済んだら、死ねるとも思った。
この後どんなに辛く悲しく恥ずかしくても、死んで全てをリセットする選択肢が、私にはある。
そう思ったら、緊張はあれど途端に体も心も軽やかになった。
やっと終わりにできるんだな。
もう苦しまなくていいんだな。
最後ならば、全力で立ち向かおうと強くなれた。
私は死を意識しなければ足を踏み出せないような、本当に、びっくりするくらいの、臆病者なのだ。
死ぬか否かで選び取った大抵の物事は、私に沢山の情報や縁を与えて、そうやってまた、死ぬか否かの二択が為されて、それを延々と繰り返した。
結果的に、気付けば生が紡がれていた。
臆病で、卑怯で、陰湿で、苦し紛れのどうしようもない毎日だった。
生きていてごめんなさい、という大前提がずっと昔から当たり前のようにあった。
私は、人前で胸を張れるような人間ではない。


よく昔の友人から久々の連絡の際、
「じゅんじゅん、生きてる?」
と開口一番送られてくるのはその所為なのかもしれない。
普通、久しぶり!とかでしょうよ。
生死の確認て、それ返ってこなかったら笑えないからね。
ハードなブラックジョークだわ。
でも自然と複数人にそんな事を言われるという事は、私が心の中で唱えていた、
「死ぬか、やるか。」
が滲み出ていたのだろうなと今更ながら思う。


階段から転げ落ちて身体の痛みを感じ、同時に心の痛みがぼんやりとしていく中で、
「だれかに気付いてほしいなあ。」
と思った。
泣きながら、まだ痛みが足りない、ともう一度階段を登った。
でもこんな事が知れたら、頭のおかしい子だと思われるから、みんなが困るから。
私はひとりで階段を転げ落ちた。
はやく死にたいなあと思いながら、心のキャパシティを無理矢理こじ開け続けた。
そういう足掻き方がわからずに、本当に死んでしまう人も沢山いると思う。
私は己の生に対しての野心と、手段を選ばずに突っ走ってきた自分に、お前はよくやったよと言ってやらなくちゃならない。
「頭がおかしい子だって、みんなが知ったら困るから。」
なんて余計な心配せずに、あの時誰かに助けを求めていたら、何か変わっていたのだろうか。
いや、私の性格上、どう間違っても助けなんか求められなかったと思う。
人生は、後から改訂する事は出来ない。
けれども、見解を改める事はいくらでも出来る。
これでいいのかわからないまま四肢をばたつかせるようにして生きてきたが、今の私が
「それで良かったんだよ。」
と言ってあげられれば、それで充分報われる。
あの時病院へ連れて行かれていたら、確実に病名を付けられてそれなりの措置を取られていたんだろう。
でも私は、病名が欲しいんじゃなくて、
「がんばったね。疲れたね。」
という、ただその一言が欲しかったんだと思う。
大人になってから、全く違う状況下でそういうタイミングが何度か訪れた。
私はこれまでの自分を見透かされている様な、とても不思議な気持ちが湧いてきて、気付けば涙が溢れていた。
観世音菩薩は、身の回りの人や物に変化して姿を現すという話を聞いて、あれは観音様だったのかもしれない、と思った。
生きていれば、いつか必ず何かの形で巡ってくると今は強く思う。
それと同時に、これからは自分に傷をつけるような、節操の無い生き方は辞めようと思う。
心も身体も。
いちいち死を引き合いに出すような、物騒な毎日は、もう辞める。
昔からの名残りで、自分の気持ちを正直に露呈するのは苦手だし、自己犠牲的な思考が抜けないのも実際のところ。
幸い、自分を追い込む必要のない、安心できる家と周りの人達に恵まれている。
その中で、少しずつ変えていけたらと思う。
毎日が気付きと悔い改めることの連続で、本当に幸せだと思う。
本当は昨晩もう一品作る予定だったのだが、思いの外量が多かったのでやめておいた。
島らっきょう。
以前沖縄料理屋さんで大学の同窓会をした際に食べてとても美味しかった。
売られているのは初めて見たが、これはかなりお値打ち価格なのでは。
薄皮を剥き根を切り落とし、洗って身と茎に分ける。
今回は天ぷらにしました。
島らっきょうの天ぷらと、天ぷら粉の残りで作ったニラもちチヂミ。
あと昨日のカワハギのアラを汁物に。
普段作らない料理も、なんというかリフレッシュ出来て良いですな。
小葱は以前買った長ネギの根を水に挿して育てたもの。
キッチン菜園、良いですよね。
夏場は水の衛生管理が難しくなるので、そろそろおしまいかな。
どれも美味でした。
お一人様用の電気式フライヤーが欲しいもののリストにあったのだが、そんなに毎回揚げ物しないからなあ。
思いとどまって良かった。
とはいえ油入れっぱなしで再利用出来るのは、オイルポット要らずで良いよなと思う。
持っている方いたら、使い心地を教えて下さい。
自宅でひとり串家物語ごっこ、したいぞ。
晩ごはん。
最近果物食べてなかったのでバナナ。
小ぶりなので一本丸々。
バナナは食前や空腹時に食べると良いらしいので、いつも食前に食べる。
島らっきょうの残りと、あら汁の残りに具材を足して味噌で仕立てた。
もはや鍋のサイズ感。
あとは白菜とツナサラダにおからをトッピング。
一昨日くらいから1日2食になってきている。
比較的運動量抑えめだし、食べ過ぎよりいいのかな。
ライブやリハがあると、夜呑むから食事のリズムが崩れてゆく。
明日は無善寺、明後日はヘブンスドアでライブです。
明日のおつまみ、まだ考え中。
作るんじゃなくて、買ってきちゃうのも有りかなあ。
また明日考えるとしよう。
おやすみなさい。

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