地道に、でも鮮やかに毎日を。
画像容量がいっぱいですというメッセージが表示され、日記が更新できない事がよくある。
その度に古い日記から、同じ画像を別のサイトにアップロードし、画像削除したところにURLを貼り付けるという、なんとも地道な事務作業をしている。
前までは1枚ずつURLを貼りつけていたのだが、最近面倒臭くなって、冒頭にまとめて貼りつける事にした。
中身が伝わればそれで良し、というところまでハードルを下げる事にした。
おかげで今までうんざりしていた作業から解放され、また容量いっぱいになったらめんどくさいからと最小限にしていた画像添付も、心置き無く出来るようになった。
手法を簡略化する、即ち、こだわりを削ぎ落とすというのは、何かを続けていく上でとても大切な事だ。
面倒だと感じるこだわりについては、それ自体を疑って見直すだけで、格段にやりやすくなる。
掃除や食事なども同じく。
自分でこれだけは外せないと思っていた要素が、手放してみると実はそうでも無かったりする。
日常で出来得る範囲のこだわりを持ち、楽しんで噛み締める。
それこそが滞りや不和のない生活に繋がる。
出来る範疇の中で満足するべきだ、という意味では無い。
職場への不平不満を述べ合いながら安酒を呑むという楽しみ方も、大いにある。
不満も理想も、これから先へ繋がるエネルギーだと思うし、それこそが人間らしさだと思う。
はみ出たり、縮こまったりを繰り返し繰り返し、右往左往して生きていく。
ただ、こだわりそのものに取り憑かれてしまうと、当たり前の事さえ困難になる。
こだわりは少しずつ肥大化し硬化してゆくものなので、気付いたらこんなに大きくなってしまっていた、と思う事も少なくない。
面倒臭いなあとか億劫だなと感じたら、いちから見直してみるのも大切。
話は戻るが、毎月960円払うとサイトの画像容量無制限になるらしい。
他にも、広告がなくなったりという特典がある。
しかし、お財布の紐の硬い私である。
目に見えないものに払う金なぞ1円もない。
なんでも商売になる世の中なのだな。
先日、出会い系アプリの広告の多さに改めて驚いた。
最近の出会い系は、友達探しもできるという。
TOHOが出来る以前の、歌舞伎町がまだギラギラしていた頃。
風俗のスカウトのお兄さんに声を掛けられたが、逆に質問責めにした事があった。
昼間からビールを呑んで上機嫌だったのもある。
「東京には上京してきたんでしょ!?」
「田舎どこなの!?」
「郷土料理は何!?」
「ご飯ちゃんと食べてるの!?」
「インスタントばっかりじゃ駄目だよ!?」
「私中野坂上に住んでるから今度ご飯食べに来なさい!!」
という具合に畳み掛け、連絡先まで交換した。
チャラチャラ話し掛けてきたお兄さんが急に大人しい青年になり、明らかに戸惑っていた。
結局家には来なかったし、それ以来連絡を取る事も無かった。
こんな具合に、突発的な出会いは挙げ出したらキリが無い。
歩くハプニング出会い系人間。
他意は無い。
趣味趣向から絞って人と出会うのが主流なのかもしれないが、私はこうした、ただその場に居合わせたからという出会いが好きなのかもしれない。
その後特に関係をあたためていかなくたって、人と関わったり楽しんだりすることは出来る。
ただ、そういった発想や取っ掛かりが無いだけなのだ。
私はどんな人でも興味津々になってしまう性格故、そういう事態を招き易いのだろう。
大抵、泥酔しているわけだが。
酒の力はすごい。
近頃は心身が穏やかになった所為か、あまり鮮烈な出会いや事故をしでかさなくなった。
酒量制限で泥酔率が下がったのもデカいけれど。
20代はほとんどずっとそんな感じだった。
酒狂いパリピの毎日も結構楽しかった。
今戻ってやり直したいかと聞かれたら、遠慮しときますと答えるけれど。
うまい具合に落ち着いてきたような気がする。
以前職場の先輩で還暦を超えている女性が私を見て、
「いいなあ。私も若いうちに遊びたかったわぁ。」
としみじみ独り言ちていた。
私が夏、素足にホットパンツにサンダルという出立ちで出勤したら、
「まー!はしたない!」
と憤怒して太ももを叩いてくる様なお局さんだった。
その時は、
「他の人も脚出してるやんけ!制服着替えるんだからええやん!」
と思った。
でもそんな強気な姑みたいな人がしょんぼりしながら、いいなあなんて呟いているのを見たら、少し胸が痛んだ。
変わってあげたいが、彼女の時を巻き戻す事は出来ない。
同時に、今出来る範囲の好きな事は存分にやらなくちゃいかんと思った。
お仕事はお金の対価としてがんばるし、無理も我慢もする。
でも自分の好きな事や生き方に関しては、そういうの一切要らないよなと。
勿論、人様に迷惑を被らない範囲での話。
同じように増えた皺でも、しょんぼりと重力に引っ張られるような皺じゃなくて、馬鹿笑いしてくっきり出来たほうれい線の方がいいなあ。
そういう歳の重ね方をしたいなと思いながら、日々過ごしている。
30代の抱負とか全然考えなかったし未だに自分の歳の自覚ゼロだけど、20代は怒涛の毎日だったなあとふと思った。
ローリングストーンどころか、デストロイ&クラッシュみたいな。
よくここまで五体満足で生きてこられたものだと我ながら不思議に思う。
目標とか決めるのは苦手なタイプなのだけれど、これからはひとつずつ着実に楽しんでいく予感がしている。
空回りしてガチャガチャに動いていた歯車が、ようやくきちんと合致して作動し始めたような、そんな心持ち。
刺繍にハマっているのも、綿密で確かに進んでゆく感覚が腑に落ちたのだと思う。
大泥酔では、針に糸も通せませんからね。
そういうちょっとしたところにも自分の変化が表れるから、自身のメンテナンスを兼ねてじゃないけど、きちんとキャッチ出来るようアンテナを張っていたいなと思う。
今日はダムダム団リハ。
ライブのお誘いを各方面から戴いて、5月のライブは3本になった。
嬉しい限りである。
新曲を仕上げるらしい。
「LUNA SEAのロージアみたいな感じにしたい」
と鈴木さんが不穏な発言をしていた。
私は河村隆一には成れんぞ。
どうなることやら。
がんばってきます。
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