危ぶめば、道は無し。
[▲やっぱりバレンタイン明日だしとチョコを溶かしたのだが、混ぜる材料が多すぎて固まらず。チョコペーストとしてはめちゃくちゃ美味しいからパンに塗る用で持っていこうか悩み中。]
昨日はツーマンの振る舞いフードに向けて、沢山お料理をした。
特にお菓子作りは時間を忘れる。
分量をきっちり計らないといけないのでぼーっとしていられないし、混ぜ方も作るものによって変えないと上手く出来ない。
小学生低中学年の頃はよくお菓子作りをした。
バレンタインももちろんだし、特に祝い事がない日にも作って周りの友達にあげていた。
昨日クッキー用の薄力粉を計っている時、こんなに使うんだっけと驚いた。
半量で作ろうか、はたまた少し減らしちゃおうかなんて姑息な考えが過ったが、失敗したら元も子もないのできちんと計って入れる。
ふと、昔はそんなこと考えていたかなと思った。
考えていなかったと思う。
材料は家にあるものを使っていたし、たまに足りないなと思ってバターを買い足しに行ったりもしたが、そこで高いもったいないなどと足踏みした覚えも一切無い。
覚えているのは、砂糖やショートニングなどの材料から出来上がったお菓子への感動と、プレゼントした時の相手のありがとうの笑顔だけ。
一回だけ、粉ふるい器というコップ型でハンドルを握ると粉が攪拌されて下から出てくる調理器を水で洗ってしまった事があった。
「あー!これはサビちゃうから水で洗っちゃ駄目なのよ〜。」
と母親が慌てて振りながら水分を拭き取った。
私は説教という程怒られなかったが、酷くうろたえた。
使った後はちゃんと綺麗にしなくちゃと思ったのだが、どうやらなんでもかんでも水で洗えば良い訳ではないらしい。
しばらくしょんぼりした。
粉ふるい器は今でこそ百均にも置いてあるが、当時はそんなに手軽なものではなかったから。
時間が経って、私が水で洗った粉ふるい器は、案の定外側がすこしサビてしまった。
でもサビただけだった。
中は問題なかったのでその後もしばらく使えていた。
思い返してみると、最近、そういう取り返しのつかない失敗にぶつかっていないような気がする。
その代わりなのか、常に、こうなったらどうしよう、ああなるかもしれないという緩い不安感と息をしているような感覚がある。
薄力粉なくなったらどうしよう。
バターなくなったらどうしよう。
お金なくなったらどうしよう。
この間のインスタントコーヒーと同じだ。
ある程度の先への注意力や危機感は必要だけど、まだ起きてもいないものへの不安は虚像でしかないから、私はもう少し、やってしまってから考えるくらいにシフトしていくべきだと思う。
粉ふるい器がサビたところで、命を取られる訳でも無く、全てがおしまいになるわけでもない。
現に、あの日うろたえた私は、今日もお菓子作りをしている。
自分が何かを所持しているという感覚も、もっと噛み砕いて明白にするべきだと思う。
地位も金品も、守ろうとか手に入れようとかいう気持ちがいつだって人知れず誰かを蔑む要因に成り得る。
私の手にあるけれど、私のモノではなく、私のところに巡ってきただけであると思うのが、一番矛盾が無い。
物でも縁でも、全般においてそう思う。
誰かより何かより良くなりたいというならその的が何なのか、即ち自らが何を欲し、何に欠乏を覚えているのかを明確にしなければ、根本は解決しない。
私は、もう少しびくびくしないで生きていきたいので、自分の謙遜癖、喪失を恐れる癖と対峙していきたい。
そういう私の根底のモヤモヤを、酔っ払った時の私が全て引き受けてくれていたようにも思う。
やりたいほうだい、したかったんだよね。
していいんだけど、シラフだとうまく出てこないんだよね。
わかりみが深い。
私だけに。
たまにお酒に頼るのもアリだと思うけど、私自身ももう少し自分の問題を背負っていかなくちゃね。
そんな私が比較的色々考えずに没頭できるお菓子作りは、良いリハビリなのかもしれない。
お菓子を作る、文章を書く、ギターを弾く、ピアノを弾く。
このあたりの時を忘れられる事で、毎日を埋めていけたらなと思う。
モヤモヤしている暇を無くすのもひとつの手ではないかと。
よーし、食べ切る事を考えずに、作りたいものを作るぞ。
そしてライブで配るぞ。
これぞWIN-WIN。
お肉たくさん焼きました。
すごく良い出来です。
ローストポーク作り歴長い私の中でも、これはかなりの上物かと。
甘酒も多分めっちゃあります。
是非食べに来てください。
菩薩とのデュエット曲もトテモ素敵なので聴いて欲しいです。
途中入退場OKです。
16時半開場、19時お酒のオーダーストップ、20時には閉店となります。
無善寺にてお待ちしております。
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