みんな、私という遊園地で遊ぶ。

その年の明ける2、3日前の事、私は急な腹痛にベッドで身悶えていた。ぐぬぬぬという程の痛みにどこか同情して欲しさがあったと思う。うずくまり肩で大きく息をしながらちらりと彼の顔を見た。が、心配でも、戸惑いでもなく、その表情はひどく辟易としていた。明らかに「めんどくさい」と言っていた。
女は共感を求め男は解決を求めるという話をふと思い出しはしてみたが、そんな傾向なんてフェミニン臭い話ではなくて、
“セックスをしに来た人間が、それを為し得ずに心の中で舌打ちをしている”
という現状に気付いてしまい、世界で彼だけが理解者だと思い込んでいた私は、察せられぬ様、うつぶせになって泣きながらぜーぜー笑った。
「ごめんね、お腹、痛いから」
と、うずくまったまま呟いて、今夜、もうこの先は無いんだよと口には出さないが帰る事を促すと彼はすんなりと帰っていった。
ひとりぼっちがこわくてさみしくて未来も明日も見たくなくてこのまま死んじゃいたいっでも、と思った。

いつかの大晦日の夜。
賑やかなバラエティ番組の、
「さあいよいよあと30秒で新しい年を迎えます!!!」
という興奮気味の生放送を眺めながら、
「…おかあさん、もう年、明けるよ?」
と、横でくたびれてうなだれる肩をちいさく揺する。
勿論起きるわけがない。起こしちゃいけない、という本能があるからそもそも起こすつもりも無い。父親は仕事で、姉は外で過ごすからと何処かへ行ってしまっていた。
3、2、1、と数えて盛大なクラッカーや紙吹雪。チャンネルをパッパッパと飛ばしてみるが、どこもかしこもお祝いムード全開。
NHKに関しては煩悩を殺すべく108の鐘の音。天井から煌々と照らされるリビングと、私と、パートの仕事でくたびれて眠る母と。
おうちで、家族といるはずなのに。
灯りは点いているはずなのに。
TVの画面から溢れる押し付けがましいお祭りムードが、その差異に追い打ちを掛ける。

これなら宇宙に放り出されたほうがマシだ。
これなら首をちょん切られたほうがマシだ。
たくさんのあざやかに囲まれて、その瞬間、私はとてもひとりぼっちだった。
ださくて、いますぐにしにたかった。
私はとても、幼かったから。
深夜も、今夜だけ朝まで走り続けているというJRが、行く宛ての無い私を、一体全体何処へ連れて行ってくれるというのだろう。
行き場もなく、深夜24時と数分。
血縁なんかよりずっと信頼して、信用して、期待していたあの人が呆気なく去っていった家具もないエアコンもない6畳の部屋で、白い息を吐きながら。
あの大晦日を思い出していた。
放心状態になっていると、沢山の絶望が走馬灯&オールスターしてきて成す術もなく思考に従う。

「彼女のことも好きだけどじゅんじゅんの事も好きなんだよね」
と言われた瞬間奪われた希望とすこし灯された心の灯火。
秋葉原の車道で引き摺り廻しの刑からの、警官に囲まれて、顎を強打してからの、気絶。
高円寺駅前で、早朝雨晒しで這い蹲って、
「ふざけるなー!」
と叫んだら、
「もう迷惑なんでさっさと帰ってください!!!!」
と、警察官に大絶叫のお説教を喰らって、
「かえりますよ!!!」
と、ぐじゃぐじゃに泣きながら自転車に乗って中野の家へ帰ろうとしたのに、気付いたら荻窪に向かっていて、チャリごと転んでわんわん大号泣。
「もうお酒呑まないから一緒にいてほしい」
なんて出来もしない背伸びして、案の定呑んだら記憶が飛んで、暴言吐きまくって、さようなら。

問題児なのは百も承知だが、とっくのとうに子供じゃない歳を経てきたのが恐ろしいところ。南無阿弥陀。
どこかおかしかったというのも、その時、私はおかしい精神状態であった、という自覚もちゃんとある。ストレスの其の実はわかっている。
わかっているけれども、
『ほかの誰かを曲げるくらいなら、、、』
と、だんまり決めて、ひとりで泣く。
そうやって、いっつもいっつも、いずれ爆発する。
それを、繰り返してる。
それが、人生、とおもう。
苦行とおもう。

私のたいせつなところと、
君のたいせつなところ、
重ねてはみ出したところを、
わかったり、わからなかったり、
そういうことをするべきなのは、わかっているのに。
人も物も関係も、意外と壊れやすくて、意外とタフだから、毎回、あーあっておもう。






あきらめる、という勇気。
それは一種の、自分への労わりだと思う。
“毎日が特別じゃあ疲れちゃうから”という歌詞が、ほどよくしっくりときた。
それはたぶん、向かわなくてはならない学校への道をそっと逸れて、図書館へ向かうときのあの感じにほんのり似てる。
あの場所にいた自分と、そこを逸脱していまここにいる自分と。
牛乳を買おうと家を出た。
そういえば単4電池がなかった。
電池を買うなら百均の方が安いだろう、とコンビニではなく少し離れたスーパーへ行くことにする。
スーパーの二階一角には100円均一ショップが入っているので、ついでにそこで電池を購入しようというわけだ。
二階へ上がるとすぐに日用品コーナーがある。
そういえば食器用洗剤があと少しで無くなりそうなんだった。
お買い得と書いてはあるが、208円というのは安いのだろうか。
まあ買ってもいいかなという値段ではある。しかし相場を調べずに買うのは賭けになる。ダメだダメだ!今日はムダ遣いしないと心に決めたではないか。
必要なものは、必要なときに、必要なだけ買う。安いからといって買って使わなければまさに箪笥の肥やしではないか。
そのまま死んだらなんにもならない。
日用品コーナーを無事スルーして100円ショップへ。
ここでキョロキョロしていたらまたあれがなかったこれが欲しかったと始まってしまう為、入店してスグの電池売り場で単4電池を手に取るとレジで会計をした。
牛乳を買おうと一階へおりる。と、丁度見切り品コーナーがある。

つづく




電車に乗ったとき、どうしてその座席を選んだのかなんて愚問でしょ?そもそも選んでなんかいないの。“たまたまそうだったこと”になにがしかの理由をつけたがる。
まどろっこしいわよね。
でもそれが人間らしさ、なのかもしれないわ。
ニヒルを気取る訳じゃないけど、私はそういう感覚、持ち合わせていないの。




見切り品コーナーは絶対にチェックする。
寧ろ値引き品を探す為にスーパーを闊歩していると言っても過言ではない。
産まれながらの貧乏性である。
ルッコラが60円。
生野菜食べたいと思ってたわと手に取る。
60円なら無駄遣いに含まれないと免罪符染みた言い訳を脳内で唱え牛乳売り場へ。
うーんもう一つのスーパーなら40円安いな。ここはやめておくか。
肉が食いたい、食いたいものを我慢するのはよくない、と肉売り場へ。
倹約と貧しさは似て非なるものである。
節約が生き甲斐だが、贅沢は敵だ、などという精神は理解し兼ねるし気味が悪い。
肉が比較的安い店だが、ピンとくるものがない。
なにか、なにかないだろうか。
豚軟骨は安いし圧力鍋で煮ると絶品だし、最終的に残った汁で作るラーメンが、これまた美味い。
だがそれはつい先日作ったばかりだ。
砂肝のガーリック炒めもよいが、銀皮の下処理を考えるとちと億劫だ。
それにこの時期は生ゴミを出すとスグにハエがたかる。
ステーキ肉を上手く焼く自信もないしそもそも1人で1枚の分厚い肉を喰らう程の欲もない。
これはもういっその事肉を諦めて刺身でも買うしかないのか。
この辺りで、肉が食いたい→肉を買わねばという感覚に陥りかけている自分に気付き、ふと我に帰る。
気付けば、肉が食いたい、という欲求そのものが薄れていた。
私は煩悩の塊であるな、と改めて感じる。
いま流行りのマインドフルネスと言えば聞こえは良いが、思考を用いてただなるがまま、なすがまま欲を辿っているだけだ。
ははあ、と喜びも悲しみも無く納得し、60円のルッコラを購入すると私はスーパーを後にした。

つづく






インターネットがなかった時代、郵便受けがまだ現役で働いていた時代。
人は手紙を書いた。
その用途に合った便箋や封筒を選び、思い思いのことをお気に入りの万年筆で書いたりする。
郵送分の切手を貼り、真っ赤な郵便受けに手紙を投函する。
回収された手紙は郵便局員の手で、宛名の人物の住所へ届けられる。
そこにはたくさんの人間の手が加わり、そこにはたくさんの距離が生じる。
無論、時間だってそれなりに必要とされる。
インターネットの普及により、私達は、指先1つで一瞬で相手に綺麗な活字を送れるようになった。
この夢のようなシステムにより、私達のコミュニケーション及び生活は飛躍的に潤滑になり、そして非常に窮屈で忙しなくなった。
いつだってどこに居たって、自分宛の文章に回答しなくてはならない。
郵便受けが自宅にあった頃の
「この数日間旅に出ていた」
などという言い訳も今は使えなくなった。
パカッと口を大きく開いたバケツに、どんどんと文字が投げ込まれてくる。そんなイメージだ。
人は、望んでも望まなくても、開店時間も、まして閉店時間もない大きなバケツを与えられる。
社会から切り離されたヒッピーのような生活をする以外に、このバケツから逃れることはできない。
生きてるだけで、24時間営業。






少し前までは100円ローソンというとても便利な24時間やっているスーパーとコンビニをごっちゃにしたような店が自宅近くにあったのだが、先月末に潰れてしまった。
便利が過ぎるのも考えよう。
深夜に白菜を食べなければ死に至る訳でもない。
でもあるに越したことはない。
あったらいいけどなくてもまあさほど困らないという程度の存在だったまさにそれが、閉店の理由なのかもしれない。
求められないというのもとても悲しいものだが、“どうでも良い”と言うものがなんだか寂しいものである。
などと能天気に思っているが、そんな私も求められているのかと問われれば、首を縦に振ることはできないのも事実だ。
もっとも、人手不足が続く元職場に置いて、1人でも辞められたら立ち行かなくなるのも事実であり、そういう意味では、なくてはならない存在なのかもしれない。
なくてはならない、歯車のひとつ。
得てしてそこに“私でなければならない”要素はどれほど含まれているのだろう。
看板が取り下げられ空っぽになった店舗の前を通り過ぎ、牛乳の安いスーパーへ向かった。

つづく






幾つの時からか定かではないが私は人の評価にびくびくとしながら過ごしてきた。
それは美術大学受験の為の予備校で蓄えられた節はある。
平日は高校が終わってからの4時間、土日祝は昼夜12時間、描いて描いて描いて描いて、作品の制作最終日(平日夜なら5日間で1枚、土日なら1日か2日で1枚。課題にもよる)に講評会なるものがあり、全員、ろくでもない出来であっても、制作途中であっても、問答無用で棚に並べられ、講師の講評と言う名の批判を受ける。
自らがぴたりと身を寄せて相対して作り続けた絵画を人前に晒されるというのはそれだけでこそばゆく発狂したくなる、恥ずかしい行為なのだが、美術大学に行きゆくゆく成りたい筈の画家というものは自ら好んで高い金を払い画廊で展覧会などを開きなんなら値段をつけて売るその行為に繋がるもののはずで、だがしかし私はどうにも苦手だった。
しかしながら美術大学に合格する為には合格ラインを突破する絵を描かなくてはいけない、そのための修行であった。だがしかし今更ながら、赤本も存在しないふわふわとした合格ラインに狙いを定めること自体おかしな話で、それを教える講師というのも、運良くか実力あってか定かでは無いが藝大に受かった、という具合のもので、甚だ怪しい仕組みであったと思う。
まちがい、よくない、を植え付けられ、ただしい、よい、の種を蒔かれてバイアグラのような強力な栄養剤を無理矢理注がれた、と言って過言ではない。そこで得られた事も勿論あった。
評価気にしいの要因は、予備校だけではないのだが。


ひどく長い間、脅かされていたようで、それは自ら好んでという気もするし、止むを得ずという気もする。
とにかく整理がつかなくて、とにかく整理をつけたくなかった。んだと思う。
曖昧が歯痒くもあり、心地良くもあった。
そうしていないと消滅しそうだったような気もするし、そうしていたから消滅しそうだった気もする。何れにせよどうであったかを検証できる当ても無く必要も無いのだが。
昨晩、漸くひとつ抜けたようで、否、以前に戻ったのかもしれないが、頭の中に次から次へと浮かんでそれをするということをした。
友人の結婚式の二次会のビンゴ大会で当てた千疋屋のフルーツゼリー詰め合わせの包装紙を使ってポチ袋を作った。私ならビリビリに破いているところだったが、のり付けされた梱包を綺麗に開けてくれた彼氏に感謝した。
お風呂掃除をした。お試し価格だったお風呂用洗剤の新商品は、驚くほど浴槽をピカピカにしてくれて、現代人の生活は日々進歩しているなと感慨に浸った。
浴槽にお湯を張り身を委ねて、手のひらを湯船から目線の高さまで持ち上げる。手の甲を上に、丁度、幽霊の真似をするときの形で、指先から滴り落ちる透明な雫を眺めた。
そうだなあ、そうなんだよなあ、私は、完成を披露したいんじゃ、ないんだ、と独り言を言う。
実証するための実験であり、自らも、観覧者も、初めての体験を、そこでしている、それだけだ。
それだけだ。
ぽたんと落ちる瞬間、雫は、向こうの景色を圧縮して映してすぐ水面に溶けた。
その、感覚のなぞりに掻き立てられ、何遍も、何遍も、水の雫を落としてはまた手を浸し、落とした。
そうだった。この感覚だった。
すっかり忘れていた。
前髪で朝陽を砕く感覚が、眼球の僅かな心拍の揺れが、そうだ、そういったものに魅せられて、反芻していたこと。
漸く、動き出した。
食べることもわすれて噛み締めた。感じた。そして作ることをした。
またいつ闇に飲まれるのか。
不安に思う暇はない、兎にも角にも、だ。
私はもう一度前を見る決意をした。

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