息をする以外の事が多過ぎる世の中だ。
菩薩との映画祭後のツーショット。
幸せって、なんなんだろう。
あらためて、すごく、すごく思う。
いま、本当にたったいま、幸せな笑みが滲み出ているのが、至福なのではないだろうか。
"いま、私はわらっているなあ。"なんてことを思う隙も無く、ああーと思う、思得る瞬間が、それが至福なんではと思うのです。
日々、思うのです。
それでも今、結局何も変わらないし、なにもわからないのです。
私は驚くほど無力で、そんなことを想定する自体、烏滸がましくて、なんともいえない。
なにも言えない。
なにも言わないでいるのが一番の安寧と、誰よりも自覚しているというのに、また、足掻いてしまう。
言葉を連ね、弁明ではないのだよと宣い乍らつらつらと連ねてしまう。
それは悲しいことなのか。
間違いであるのか。
それとも、必死で、本気で生きた軌跡であるのか。
わからない。
わからない。
きっと、50年後にも、100年後にも、わからない。
それでも、生きる。
きちんと、今出来得ることを為して、なるべく為して、生きることをする。
ひとつ先の呼吸を、なんとか、する。
それでいい。
観音様は、神様は、びっくりするくらい身近に、姿を変えて現れる。
そこにいらっしゃったのですね、と、毎回、涙する。
馬鹿馬鹿しいかもしれない。
愚かに映るのは百も承知。
それでも、だれも、その人の、そなたの悟りや救いや気付きを、嗤う権利はない、と、私は思う。
だから、あなたは、間違ったと笑っていいし、幸せだなあと、笑っていい。
私がやっと気付けたここの地点をスタートラインに、よりよい日常を大多数のあなたが始められますように。
すべてのあなたの安寧を祈って。
あいしています。
ありがとう。
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