上本マグロを食べた。
情緒は不安定だが、少しずつ楽しめる時間も増えてきて、ダークサイドに突発的に引き摺り込まれることも圧倒的に減った。
脳みそが暴発しないように理論武装して牽制し、隙を見て心地の良いもの、好ましいものに触れて意識を保つ。
生かすも殺すも脳次第なのかと不毛さを感じることもあるが、はたまたそれ以外のなにかであるのかもしれないとも思う。
胃袋も思考することが知られているし、一概には言えない。
感化されやすい状態は続いているので、自分のライブの音源を聴いたり、なにか感情に訴えかけるものを見聞きすると、すぐにぼろぼろと泣き出してしまう。
9月は心の梅雨だったのだなと思って、少しずつ心を整理していこうと思う。
元々の性格上、すっかり晴れ渡った心模様というのは難しいかもしれないが、少しでも自分で自分を脅かす事のない時間を過ごせたらいい。
昨日は阿佐ヶ谷まで足を伸ばし、お散歩がてらお買い物。
今月の食費が5000円以下だと気付いて、せっかく量が減っているのなら、自分の食べたいちょっとイイものを食べようと思った。
この間同じことを思ったのだけれど、心の闇に阻害されてしまい及ばず。
今回は無事、お買い物できました。
ラムしゃぶしゃぶの冷凍肉と、上本マグロのお刺身を買った。
幸せしかない。
とりあえず日持ちを考えてお刺身から戴いたが、めちゃくちゃに美味しい。
なんだこれは。
おさかなさん、ありがとう。
生野菜を食べたいがレタスが高騰しているので、大根を買ってきてサラダにした。
大根は短冊か細切りにしてマヨネーズを和えると鬼のように美味しい。
生きててよかった。
本マグロの残りは醤油漬けにした。
生きててよかったと思える要素が手元にあるのは、とてもうれしいことだ。
昨日の夜、無善寺国際映画祭の動画を編集した。
生誕祭楽しかったよ動画は病み上がりの私にはハードルが高過ぎるので、精神汚染で発狂していた時酔って撮った映像をベースに編集。
ピークの時よりはマシだが、それにしてもちょっと、というか結構ヘビーで、これどうなんだろうなと思った。
でも今現在の自分の本当の姿だし、わざと胸糞悪い映画も世の中にはたくさんあるしな、と自分に言い聞かせて作った。
もうすこし短くしようかなと悩んだけれど、ずっと観ているとこっちも感情を揺さぶられて発狂モードになりそうな予感がしたので、やめました。
わりと厳選して、怖すぎず、わかりやすい部分を集めたつもり。
途中ちょっと笑えるところもあるから、まあ大丈夫だと思う。
ていうか人が泥酔して発狂している姿なんて、滅多に見られないし、逆におもしろいのでは。
手首を切るとかそういうことはしていないので、ご安心下さい。
いつもにこにこへらへらじゅんじゅんがギャン泣きする姿を観たい方は、第二回無善寺国際映画祭へ。
自分から見てくださいよというモンじゃないけれど、覗き見たいと興味を持って下さる奇特な方には、分け隔てなく公開しようと思った。
リアルドキュメンタリーだな。
ここ最近の傾向として、長時間のイベントに参加すると心身が厳しくなりがち。
しんどかった時は映画祭辞退しようかと本気で思っていた。
なので、もし心模様が怪しいなと思ったら、自分の映像の上映後帰ってしまうかもしれないです。
具合を見つつ、とにかく自分の身体を第一で判断していけたらと思います。
イベント自体はとてもたのしいので、是非是非遊びにいらして下さい。
昨日の夜は首のうしろと太ももの裏が痒くて寝付けず、蚊に刺されたのかなと殺虫剤を撒いたが、電気を付けてよくよく見てみたら、痒いところの広がり方が虫刺されではない。
これは。
あれだ。
じんましんだ。
今の家に越してきてしばらく経った頃、全身に悍ましい程のじんましんが出て、近くの病院で点滴を打ってもらった。
考え得る原因は、極度のストレス。
身体への影響は、しんどいことの1ヶ月後くらいにドッと出てくる事が多い。
痒いし、ぽこぽこと腕や脚に増えて広がってゆくじんましん。
自分の目で見てもきもちわるいし、ぼこぼこの肌になってゆくのが悲しかった。
それがお前の本当の姿なんだよ、と言われているようで、悲しかった。
ホットミルクを飲んで心を落ち着け、ぬいぐるみを抱いて眠りにつく。
今朝起きたら、ひどかった首の後ろも綺麗に消えていてほっとした。
帯状疱疹じゃなくてよかったわ。
ストレスって、本当にこわいし、身体は何より正直だ。
動画編集で自分の発狂している様を見て、身体が拒否反応を示したのかもしれない。
じんましんの出る映像って、怖すぎるだろ。
今朝、最近習慣にしている散歩の帰り道、久しぶりに花を撮った。
綺麗だなと思ってカメラを構えて、そういえば花が綺麗だから写真に収めよう、なんて、ここのところまったく思わなかったよなと気付く。
身体も心も、本当に正直だ。
行動や言動には、自分の心身の訴えやサインがたくさん含まれているから、きちんと気付いていかなくてはならない。
そうやって、自分という乗り物とうまくコミニュケーションを取りながら、沈没しないように操縦していくのが生きるということだ。
がんばるけど、がんばらない。
人とか唄とか食べ物とか、それらすべてに依存し、頼りつつ、確かに、着実に、一歩ずつ、進んだり戻ったりをしていく。
答えを求めているということは、安寧の類いにはまだまだ程遠いのかもしれない。
今夜は無力無善寺。
明日明後日とイベントが続くので、今日はお酒はやめておこう。
身体と心をやすめながら、がんばります。
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