練習をした。
床に散らばっていたやるべきものなどを、分類せずザッと紙袋に入れて部屋の隅に置いたら、すこしスッとした。
好む好まざるに関わらず、琴線に触れるものは避けるべきと思った。
ストレッチも広々できるし、良い。
午後、スタジオが空いていたので個人練習に入った。
基本的に、個人練習の予約はしない。
確認したときに空いていれば入る、空いていなければ諦める。
昨日レンタルのフォークギターに懲りたので、自分のガットギターを持って行った。
前々から気になっていたが、自作のギターストラップが肩に食い込んで痛い。
もともと自転車の防犯用ロープかなにかに、当時通っていたスポーツジムの水素水の金具を付けただけのもの。
柔らかくて細いプラスチックのロープで、首肩あたりの位置が悪いとめちゃくちゃ痛い。
長いこと使っていて慣れてはきたが、薄着だったりすると、やはり痛い。
具体的に改善する時がきたようだ。
練習の際、畳んだエコバッグをストラップと肩の間に挟んだら全然痛くなかったので、家にあるもので作れるだろう。
右手のストロークと左手親指の位置と力の掛け方などを意識して練習をした。
最近やっと、ピックを落としたり飛ばしたりすることなく弾けるようになってきた。
柔らかめだと1曲で割れてしまうのは相変わらずだが、今まで苦手だった硬めのピックにも少しずつ慣れてきた。
始めた頃出来ていたのに迷走して出来なくなったのか、自分の感覚がレベルアップしてアラに気付けてきたのかわからない。
どちらにせよ、改善の余地があると感じた以上、やれることをやってみている。
改善というより、演奏する時の気持ち悪さをそのままにしたくないというのが本音。
べつに上手くなろうとか、もっとテクニカルな曲を演れるようにしよう、とかは1ミリも思わない。
難しいとか簡単とかどうでもよくて、私が演りたい、出したいと思う音が出せれば、それでいい。
声も同じ。
それはずっと変わっていない。
帰りに立ち寄ったスーパーで、顔を覗き込んで手を振られた。
イヤホンをしていたので外して、誰かと思ったら、鬼畜マスター氏だった。
鬼畜さんは、かなり古くからの音楽仲間。
最後に会ったのは、無善寺で開催したスナックじゅんじゅんに遊びに来てくれた時と思う。
優しくて気配りができて顔も広いという、界隈では貴重な方。
私もそうだけれど、作り手はやっぱり不器用な人が多い。
久しぶりにお会いしたら雰囲気が変わっていて、一瞬誰なのかわからなかった。
お元気そうでなにより、平和になったら、また一緒になにかやりたいですねと話した。
ご無沙汰な友人が元気でいる姿を見られるのは、嬉しい事だ。
私は帽子を被って大きめのマスクをしていたので、よくお気付きになりましたねと鬼畜さんに言ったが、帰り道ショーウィンドウにうつった自分の姿を見たら、じゅんじゅん以外の何者でも無かった。
ギターも背負っていて、それ以外の誰の筈もなかった。
自分以外の何者かに成り代わるのは、なかなか容易な事ではないのだなと思った。
それは救いであり、絶望であるのかもしれない。
どうやっても拭い去ることができない、滲み出てきてしまう自分の匂いを掻き消したくなって、もしくは薄めようとして、古着屋でキャップを買った。
それは幼い子供が欲しがる変身ベルトや魔法のコンパクトと同じで、これを身に付ければなにかが変わるはずだという願掛けであり、切望であり、弱さであるのだと思う。
キャップは思ったより深めだが頭にピッタリはまり、逆に、髪を高い位置で結ぶときちんとはまらなかった。
今私に必要なのはこのキャップであって、長い髪の毛ではないのかもしれない、と、髪を切るべくヘアサロンを検索してみたが、後から変更の効かない決断は今するべきではない、と思い止まった。
大丈夫、今日はきちんと操縦できている。
クラブに行って、誰が誰かもわからず、誰かである必要もない空間で、爆音と光に身を委ねたい。
混沌としたようでいて、楽しむという大前提からの秩序が存在し、陥落が前提であり当然の心持ちで興じる人々とその空間。
あの猥雑で孤独でうるさい場所が、私は大好きだ。
毛色の違い過ぎるあの場所に偶然行き着いたのも、私が無意識のうちに求めていたからなのだろう。
いつも、私という日常から連れ出してくれるなにかを求めていた。
引き揚げるのでも、引き摺り落とすのでも、なんでもいい。
ジェットコースターのように有り余るエネルギーで自分を振り回し甚振っていたのは、私を私でなくすためだったのかもしれない。
とにかく、私という何者かから逃れるために、息をしている。
これは不毛であるのか、それとも生の謳歌であるのか、私にはわからない。
ただただ、息を吸い、吐き出すことで精一杯なだけだ。
新しいツーウィークのコンタクトを開け、これから来る2週間に腹を据える。
そんなに深刻なことではない。
これから涼しくなってくるから。
きっとそんなに、深刻なことではない。
目を瞑り眠ることは死ぬことだと僧侶が言った。
きちんと始められるよう、きちんと今日を殺したい。
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