その想いが、ただただ嬉しい。〜おしるこ食べた〜

この間のライブの日、
「今日は行けないけれど、応援しています。」
というご連絡を戴いた。
嬉しい事である。
昔、
「行けなかった連絡はわざわざしなくていいし寧ろするな。」
と言う演者さんがいたけれど、私は真逆で、どんな事でも、想いを伝えてくれたらとても嬉しい。
見られなくて残念だった、行きたかったのに行けなかった、見たいと思いつつなかなかタイミングが合わない。
私もバンドの追っかけから演者になったので、自分のライブと被って行きたいライブに行けない時はとても悔しかった。
どうしてもと言われて、仕事を休めなかったり。
なんとなく心身が完全でなくて足が向けられなかったり。
行きたいけど行けない、という事が、世の中には山ほどある。
それらに足を取られる訳にはいかないから、ある程度ムキー!残念!と思ったのち、きちんと目の前のアレコレに対峙するべく、心を正して時を進めていくしかない。
でも、そういったやり場の無い気持ちを伝えてもらえるのって、すごく嬉しい事なんじゃないだろうか。
自分の事を、少しでも想ってくれている人がいる。
それだけで、優しくもなれるし、強くもなれる。
今目の前で起きている事象は、世界に存在するあらゆるものが絡まり合った一部分を、私の二つの目で切り取ったものであると思っている。
なので、自分の目や耳に触れない世界も勿論あると思っているし、むしろそっちの方が膨大な量と思う。
そんなのは当たり前の事なのだが、なんというか、目に触れない部分にもたくさんの真実がある。
時間を経る事により、それらが事実として定着していく。
その形や行動だけを見て判断してしまうのは、なんとももったいない話だなあと。
蓋を開ければ、嬉しい気持ちが詰まっていたりする。
中には勿論マイナスの想いもあるだろうけれど、そこを敢えて探し回る必要はなくて。
大切な気持ちの一端に触れる事が出来たなら、それがメール一通であれ、喜ばしい事だと思う。

看板を見てふらっと入ってきてくれた方も、チェックしているのになかなか行けないなと心の端に留めてくれている方も、私から実際に見えている世界と関係無く、私にとって大切な人に変わりない。
「現場に来てチケット代を払ってそこに居なきゃ意味が無い。」
という現状主義も、それで生計を立てていたり、"100人動員"を掲げたりしているなら、わからなくない。
でも、ただ集客という形だけに囚われて、現状にヘソ曲を曲げ続けているのであれば、ギスギスするだけで、自分の為にならない。
あれって、ただの見栄なんじゃないかな。
私の目的は、お客さんを増やす事でも、暮らしていく為の切羽詰まったお金を稼ぐ事でもない。
音楽を演らせて戴けて、そこに偶然且つ必然的出逢いがあり、その結果、また再会できる。
些細であれど、そういう人生の摂理のひとつに成り得ている事が、もうとても喜ばしい事。
どちらが正しいという訳ではなくて、私はそういう心持ちです。
やりたいから、やっている。
やっている私がキッカケで、関わって下さっている方達がいる。
幸せなことである。

甲本ヒロト氏が、
「金持ちになりたいなら銀行強盗すればいいし有名になりたいなら凶悪犯になればいい。音楽をダシに使うな。俺はバンドがやれている時点で、もうずっと夢が叶っている。」
みたいな事を言っていて、説得力がすごかった。
音楽そのものではなく、それに付随する某かを求めている人が、本当に沢山いる。
そういう人ほど、無駄に心労していく。
満たされないし、現状を憂いたりする。
そうやって、"音楽を辞める"という、よくわからないところまで自分を追い詰める。
音楽はやるものでも辞めるものでもなく、ただそこにあるというのに。
自分が何をしたいのか、感じている欲求の正体を正直に読み解かないと、後にとてもややこしい事になる。
そういう心への読解力は、表現以前に、生きていく上で非常に重要な事である。

私は、今こうして演者としていられる事に満足している。
しかし、音楽だけを純粋にやっているのかというと、多分、そうでもないと思う。
それは、音楽という表現方法を用いているだけで、音楽そのものへの熱意ではない、という感覚があるから。
物心ついた頃には絵を描いていて、文字を連ねるのが楽しくて詩を書くようになり、そのうち家にあったギターを弾き始め、歌も唄い出した。
表現する術のひとつが音楽であり、己の中で突出して秀でているわけではない。
勿論、演奏や唄に対してのこだわりも、研ぎ澄ませてきた感性もある。
でも、一生ロック、音楽命と宣言するようなものかと問われれば、違うと思う。
だからまた大きく変わる可能性も、大いにある。
私が絵画から離れてパフォーマンスや音楽を始めた時、一部の人に、絵を辞めてしまうんだねという寂しそうな顔をされたりした。
私の中では、表現の枠の範疇であり、なにも変わらないというのに。
表層を見れば変化した私を、以前と変わらず表現者として相対してくれる人達もいて、今だに交流があるのはそういう人種だけである。
結局は、住み分けの問題なんだろう。
お互いが理解し難い事を無理に許容し合うよりも、すんなりと共有できる部分の多い者同士が暮らしていく方が、双方遥かに穏やかだ。
私は私以外の考えを否定はしないし、かといって、取り入ろうとも思わない。
全く違う脳味噌を持った人と人が共存してゆく為には、ある程度の距離感と無関心が必要になる。
全部に白黒つけようとしたって、結局つかないし、しんどいだけなのだ。
諦めるというよりは、漂うクラゲのような心持ちで、たくさんの人の想いの中を泳いでいけたらと思う。


こんなことを書いたけれど、音楽という表現から離れる予感は、今のところありません。
本能的に、これでいい、これがいいと感じる道を踏みしめてはいたいと思う。
長倉くんとまたコラボできてよかったなあ。
昔から、性格的には誰でも仲良しwelcomeなのだけど、音楽やるとなると、本能的に、
「ムリ!ヤダ!」
となってスタジオやライブで声が出なくなったりして。
私って結構、本能に忠実だし潔癖なんだなと思った。
こと表現に関しては。
パッと見イージーモードっぽいのに、蓋を開けたら激ムズみたいな。
タチが悪いな。
だからちょっとでも本能がざわっときたら、辞退するよう心掛けています。
厄介だけど、身体は乗り換えきかないからね。
なんとか舵をとって生きていかないとね。
おしるこを作った。
正月に煮たあんこが、冷凍庫内から発掘された。
甘さ控えめではあるが、やはり糖分は高い。
食べた後、血圧が上昇しているのが分かった。
ヒエ。
カレーバンドの打ち合わせで乾杯する際、あつみーだけジュースとアイスクリームを食べていた。
お酒の呑めないあつみーは、毎回甘い物を召している。
いつもアイス食べてるよねとこの間話題に上がり、ぐぁんさんはカレー、りなちゃんはラーメン、私はビール、あつみーは甘味という話になった。
見事に住み分けが出来ているカレーメンバー。
テルさんはまだ聞けていないので、乞うご期待。
私は、甘い物嫌いではないけれどひと口でもう充分ですとなってしまうので、ジュースにアイスを平らげるあつみーが信じられない。
その後、チョコも食べていた。
これがリアルスイーツ男子か。
私なんか、おしるこ一杯で心臓バクバクだったわ。
糖質に耐性が出来ているに違いない。
私のアルコールと同じようなもんか。
でも、疲れている時に甘い物を食べるのは良い事だなあと思った。
美味でおました。


今日はダムダム団リハ。
絶対にオールしないからな。
寝込みとうない。
新曲の歌詞付けも微妙なので、とりあえずは昔の歌詞でいこうかな。
ジャンボバイキングもそうだったし。
変に弄ると、訳わかんない事になりそうだし。
昼間は色々やろうと思いつつ、お昼寝したりぼーっとして過ごした。
ぼーっとしろ、私。
もっと、ぐでーっとしろ。
そうやって怠惰な時間を過ごす事により、精神が回復するのだ。
この間ちょっとヤバかったから、本気で本気の休養モードにしないと、マジであかん。
なるべく、なにもしないことをします。
木曜日は、中野ムーンステップでライブです。
それだけがんばる。
他はぐでーっとする。
リハ、がんばる。

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