Twitterとの向き合い方。
Twitterが流行り出した当時は大学生だった。
家にパソコンは無く、ガラケーを粘って使っていたので、ネットは使いたくてもあまり使えなかった。
そんな中流行り始めた、新たなSNS。
私の中ではモバゲーとmixiが主なSNSで、それらはリアルの友人と繋がるというより、趣味が近い人と新たに友達になる事が多かった。
私の現実世界での交流が盛んで無かったのも、大きな要因ではあるが。
Twitterでは、今なにをしているのかを呟いて、人の呟きも覗き見れる上に会話もできるという趣旨を聞き、得体の知れないなりにどんなもんかと想像してみた。
真っ先に思ったのは、"日常をネタバレしてしまったら、実際に会った時に話すことが無くなるのでは"という懸念。
久しぶりに再会した友人や、週末を経て顔を合わせた級友と、どんなことがあったのかを話す楽しみが半減してしまうじゃないか、と。
人の日常における脳内を覗き見れるというのが醍醐味なのだろうが、面白そうというより、有り難みに欠けるツールだなと思ってしまった。
皆口々に勧めてきたが、ネット苦手だからとのらりくらりやり過ごした。
やってもいないのに否定するのは良くないなとも思っていたが、始めるのも難儀だと思い、距離を置いていた。
しかしとうとう、携帯貸してと言われて渡した友人に登録されてしまい、今に至る。
実際に始めてみたところ、友人と実際に会った際の会話がすり減ったと感じる事はなかった。
寧ろ予習が済んだ授業の様に、
「ああ、それこの間書いていたね。」
と話がスムーズに出来るような気さえした。
既に知ってしまっているからそのように捉えられているだけであって、何も知らずに再会していた頃特有の楽しさがあったのも確かではある。
実際、SNSを全くやっていない、もしくは繋がっていない友人と再会すると、ここまでの情報の白紙さが身に染みる。
ひとつひとつの言葉が新鮮というか、真新しい驚きや喜びがある気がする。
どちらが良い悪いの話ではないが、日常的な連絡のツールとして用いる様になった今、自身のコミュニケーションの在り方や感じ方に大きく影響を及ぼしているのは確かだと思う。
当時はあまり深く考えずに投稿していたが、最近は主に宣伝の為に使う様になった。
宣伝などと言うと大それた感じだが、ライブのお知らせが主である。
絵文字をたくさん使って、140文字ピッタリ全部使うというマイルールを設けて、割と楽しんで投稿できるようになったのもここ最近の事。
それでも投稿するときは、少し気合いが必要ではある。
言葉や文字というのは本当に不思議なもので、紡ぎ出すその人の心の在り方が驚くほど表れる。
精神的に参っていた頃は、Twitterのタイムラインを見ると、本当にめまいがした。
いろいろな人の感情や念が次々に飛び込んできて、脳みそをがくんがくんと揺さぶられて脳震盪を起こすような感覚。
こいつはアカンと思って開かないように過ごし、今も各種通知をオフにしたままにしている。
Facebookに限っては、アプリごと消したままである。
どうも私は、SNSやメッセージのやりとりで酷く精神を消耗してしまうらしい。
いつも表情など視覚的な部分で補完している情報が伝えられないので、
「もしちゃんと伝わらなかったらどうしよう。」
と、返信ひとつで非常に疲れ果てる。
何か投稿すれば、自ずと反応が返ってきて、それに対しての返事を早くしなくてはと慌てるわ、きちんと文章打ててるかな変じゃないかなと怯えるわで、てんてこまい。
そもそも向いていないのだろう。
同じ文章を提示するのでも、日記を書くのは全然苦ではない。
寧ろ日課にしているくらい、何も考えずにするすると書ける。
ある程度自分の思考を整えて提示出来るからだろうか。
あとはホームページの日記という、少々奥まった、見ようとしないと見られない場所だからというのもある。
"疲れたー!"と一言Twitterに投稿する事も出来るが、私にとっては、"こういう理由で疲れました"と日記に認める事の方が遥かに楽だ。
ぱっと見前者の方が楽に思えるが、返信や反応が返ってきた時の事を思うともう気が気じゃない。
Twitterなんて、日記にくるコメント(そもそもほとんどこないのだが)より圧倒的に気軽で、予期せぬとんでもない角度から飛んできたりする。
それが楽しいのか。
そうなのか。
献血で針を刺されるより、しんどいぞ。
私は大多数の人々に対して、意見や同意を求めていないのかもしれない。
わざわざ人目につく場所で訴えたい事も特にない。
そもそも、SNSはそんなに深く考えてやるものではない。
考えすぎるタチだと何度も書いているが、フランクで無いとも言える。
馴れ合いや意思の共有が目的であるSNSとの付き合い方は、今のところ、積極的に行使しないというところに落ち着いた。
心のどこかでやらなくちゃという気持ちがあることに気付いて、ゾッとした。
いやいや。
仕事じゃあないんだからさ。
演者としての姿勢云々ではなく、30代のいち女としての話。
ライブ告知botアカウントを作ったのは、心労を無くす為の、私なりの折衷案である。
私は昔から携帯電話をよく失くしていた。
当時働いていたバーの先輩に困るよと言われる度、
「じゃあ伝書鳩飼ってくださいよ。飛ばしますから。」
と返していた。
オーナーさんは、
「じゅんちゃんらしいじゃん。携帯電話なんてなくても生きていけるよ。」
と笑ってくれていた。
本当、伝書鳩くらいでいい。
今現在、通知を全てオフにしたまま、心が整った時に覗き見るという、ちょっとハイテクな伝書鳩くらいの使い方をしている。
便利だからこそ、付き合い方は考えていかなくてはと思う。
蛇苺。
これは食べられない。
可愛くて美味しそうだが、食べても全然美味しくない。
小学生の頃美味しくないぞと父親に言われて嘘だと思って食べたら全然美味しくなかった。
香奈さんの『蛇苺』という曲。
昔好きだった歌手さん。
KERAという雑誌によく載っていた。
すごく可愛い。
唄声はかっこいい。
香奈さんの手作りのぬいぐるみが雑誌にたくさん載っていた記憶がある。
ファンクラブ会報だったかな。
この曲も好きだった。
思春期にドストライクであった。
懐かしい。
そういえば以前Twitterをフォローしていたはず、と思い見てみたら、相互フォローになっていてビビる。
嬉しい。
やるじゃん、Twitter。
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