花祭り〜数の説得力〜
今日は4月8日。
花祭り。
お釈迦様の生誕祭である。
最近仏教にかぶれている私なので、近くのお寺に足を運んできた。
花祭りの存在を知ったのは5、6年前。
つい最近である。
当時最寄りにあったサントクというスーパーに寄ったら、どでかい花の山があって何事だと驚いた。
目線より上の花の塔の頂点に、小さな仏像が鎮座している。
置かれていた説明の紙を見たところ、お釈迦様の誕生を祝う花御堂というものらしい。
とりあえず備え付けの小さな柄杓を使ってお釈迦様の像に水のようなものをかけ、ありがてえと思った覚えがある。
何にも知らなくても、とりあえず便乗する。
この節操の無さ、THE日本人。
フットワークが軽いとも言う。
あの時かけたのは水じゃなくて甘茶だというのを最近知った。
でもあれ以来、お寺の外で花御堂を見ない。
仏像の周りに生花がぎっしり飾られている様は、たしかにちょっとぎょっとする。
サントクは仏教系なのだな。
三徳だからか。
みっつの徳。
なるほどね。
それにしても、スーパーの一角に大々的に展開するとは、思い切った布教活動である。
比較的大きなお寺へ来てはみたものの、世情あってか花御堂は目視出来ず。
普段配布している甘茶も、今年は中止らしい。
人が集まっちゃうからかなあ。
お参りをしてから境内を歩く。
夕立があるような天気予報だったので傘を持ってきたが、その心配は無さそうだった。
ベンチに腰掛けて少し休む。
暑過ぎず寒過ぎず、日差しも雲が遮ってくれたので程よかった。
深呼吸して耳をすますと、鳥の鳴き声や葉の擦れる音がする。
向かう途中に校舎があり、中から管楽器の音が聞こえた。
サックスだろうか。
曲名はわからないが私でも知っている曲を練習していて、粗方吹けているが最後の音が半音出ておらず、
「惜しい!がんばれー!」
と心の中で思った。
管楽器はそれだけでとてつもなく大きな音がする。
昔父親がトランペットを吹いていたが、ミュートという音を抑える器具を付けてもまだ耳にガツンとくる音量なのだ。
静かに弾けば練習場所を選ばないギターなんてかわいいものだなと思った。
森林の中でそっと神経を研ぎ澄ませていると、自然の音がうるさいくらいに耳に入ってくる。
森の中にいるのかと錯覚するくらい、さまざまな鳥の鳴き声があちらこちらからする。
遠くの方で救急車のサイレンが鳴っているが、それを掻き消すかのように木々がざわざわと音をたてる。
カコンカコン、という不思議な音もしてきた。
季節外れの風鈴にしては、音が硬質的。
発信源を辿ってみると、沢山括られた絵馬が風に揺れてぶつかり合って出た音だった。
さっき聞こえた管楽器も、吹奏楽団で演る際は多数の楽器や音を重ねる。
単独の強い音と、複数折り重なった音と。
それぞれ全く違う音。
数の多さ故に生まれる説得力みたいな話がある。
心理実験で、ある事柄に対して反対派と肯定派の話を反対派の被験者にしたという。
反対派の方には、普通に話をしてもらう。
肯定派、つまり、被験者と相対する意見の方には、とにかくひたすら、畳み掛けるよう話すようにしてもらう。
すると、それぞれ普通に話をしたチームに比べて、沢山話してもらったチームの方が、被験者から「反対の意見について一理あるかもしれない」という回答が多く得られたというのだ。
数打ちゃ当たる、とか、努力すれば報われる、という類いの言葉はそのままの意味では全てに適応し兼ねる。
しかし、多くの情報を発信する=影響を与え続けるという行為が、少なからず人の感覚や思考に影響を及ぼすのだという実験結果を受けてみると、一理あるのだろうとも思う。
点は点でしかないが、2つ現れればそれを繋ぐ線が見え、3つ現れると流れのようなものを感じる。
情報が多ければ多い程、人は感化されていく生き物なのだろう。
感受性が豊かとか敏感な人間は、逆に何も発信されずとも、なにかを汲み取ったり、感じ取ったりしてしまう。
私が今耳を澄まして木の葉の音を聞き取る行為も感受性が豊かであると言えるし、更に敏感な人間では、聞きたくなくてもうるさいくらいこのざわめきが頭に響いてしまうんだろう。
人の感じ取る力、発信する力とは、当たり前になってしまっているが、とてつもないシステムだと思う。
だからこそ、自分の調整出来得る範囲で、自分が感化されたいものを選んで生きていたいなと思う。
人も、食べ物も、空気も。
勿論、調子外れなサックスの音が突然聴こえてくる事だってある。
もっとひどいこと、悲しいこともあったりする。
そういうの全部軽やかに受け止めたり、するりとすり抜けたりできたらいいな。
結局は自分の心次第という所に戻ってしまうのだけれど。
ベンチから腰を上げて、背の低い木の枝をそっと揺らしてみた。
カサカサと音がする。
歩いている時靴に当たる落ち葉も、同じ音を立てる。
この小さなカサカサが、あんなに大きくうねりのあるざわめきになるのか。
ひとつの葉の音からは感じ得ない、なにかとてつもない意思があるような気がして、畏怖を覚える。
葉っぱの音があんなに大きいなんて、すっかり忘れていた。
不思議な気持ちになった。
花御堂は無かったけれど、裏の仏像に綺麗なお花が生けてあった。
八百屋さんで仏花が売っていて買おうか悩んだけれど、お写真だけ撮らせて戴くことに。
うちには仏壇は無いし、アボカドがいるからね。
桜の木もすっかり葉だけになってきて、いよいよ新緑の季節に入る。
季節を楽しめるのは幸せな事だ。
緑茶が丁度切れたので、新茶が出たら買ってこようかな。
写仏をした。
最近始めました。
3回目の写仏。
本日ハッピーバースデーのお釈迦様。
今までで一番シンプルな図案だったけど、2時間近くかかった。
私は本当に、慎重且つ臆病で完璧主義な人間だと思い知らされる。
それでも描いている最中は、ああ私はなんでこんなに神経質なんだろうなんて気持ちはどこかへ吹き飛んで、とにかく目の前の筆の先に集中出来る。
「なにもかもが自分の勘違いで、この世界には意味すら存在しないんやで」
と改めて自責の念を解く呪文を唱える。
線画や仏画はやってこなかったのだが、日本特有の平面感が新鮮で面白い。
良い線が引けるようになるには、とにかく描くしかない。
と、予備校時代に何度となく言われた。
良い線ってなんぞや?と未だに思っている。
あの当時も知ったかぶりして話し合わせてたな。
「大山、いい線引けてきたな」
「はい!」
と答えつつ、
「どこのどのあたりが良い線ー!?!?教えてくんろー!!!」
と思っていた。
わからないことはわからないと言う練習もしていこうと思っている。
音楽に関しては等身大で打ち明けられている気がする。
プライドが皆無なのか。
それに値する情熱が皆無なのか。
何にせよ、肩肘張らずに済むのは良いことである。
私は、結構、たくさん知らんぞ。
肉じゃがを作りました。
水分多過ぎてつゆだくになってしまった。
煮汁リメイクレシピを調べてみよう。
午後、製作していたら頭にカロリーを持っていかれ、甘いものそんなに要らないこの私が糖分を欲し干し芋をばくばく食べてしまう。
その結果このようなお野菜ディナーに。
1日の摂取カロリーは守るぞ。
高校時代も、ぶどう糖の塊を食べるとめちゃくちゃ勉強捗ったのよな。
運動も勿論だが、頭使うのも相当カロリー消耗するよね。
前までは没頭すると食べるのも忘れてしまったりしていたのだが、今は意識して休むようにしている。
効率も悪くなるっていうもんね。
今日、6時間睡眠だと寝不足で日常のミスが多くなるという記事を読んだ。
この手の話は諸説あるので安易に信じるのはどうかと思うが、自分の身体との相性もあるし、少し睡眠時間を増やして様子を見てみてもいいのかなあ。
とりあえず就寝時間を早めたいとはいつも思う。
早めに歯磨きして、寝るぞ。
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