いい人であることの傲りと代償。

[▲線路が好きだ。実家のすぐ近くに京浜東北線が走っていて、丁度目線のあたりを車輪が駆け抜けていく場所があった。キリキリという轟音と風圧を全身に受けて、音などの感覚的先端恐怖症の私は、自分の心がチリチリと車輪と線路にすり潰される感触にじっと耐えた。心地良くは無かった。一種の贖罪や自傷行為だったのだと思う。それでも、この電車がどこか遠くへ連れて行ってくれるような気がして、夜遅く1人線路を眺めに出向いた。]
小学高学年くらいからぼちぼち休み出し、中学入学をキッカケに頑張って登校するも、最初の夏休み明けにはほぼ完全に不登校児になった。
登校拒否メタモルフォーゼ。

今思うと、精神からきていたであろう身体への異常が結構思い当たる。
一番おかしかったのは、口角が硬直して引き攣ってしまった時。
小学3年生くらいの頃の事だった。
めちゃくちゃ面白いお笑いでヒーヒー言って、
「もうやめてくれー!顔が痛いから!」
というときの顔が張り付いて剥がれない感じ。
きちんと笑顔をつくることも、口を閉じて顔を整えることもできない為、周囲に悟られない様大きなマスクをして学校へ行った。
隠れた表情を補う為、目元で精一杯笑顔を作った。
その頃から完全に鼻呼吸が出来ない鼻炎も併発していて、マスクの中は垂れてくる鼻水と半開きの口から漏れる唾液で酷い有様だった。
授業の合間の5分休憩の度にトイレの個室に行き、ぐしゃぐしゃになった顔を拭いた。
なんというか、とてつもなく惨めだった。
そんな状態でも、親や周りに訴えるべき、いわゆる"症状"であるという認識が全く無かった。
「わらった顔がもどせないの。」
なんてあるわけないし、そんな事を口に出すなんて常軌を逸している。
おかしいという自覚も出来ないまま、ただただ恥ずかしくて惨めな気持ちで顔を拭うだけだった。
鼻炎で呼吸がし辛いため頭がぼーっとして、授業どころではなかった。
頭皮のアトピーが膿んで生え際が毛嚢炎になり、その辺りの髪の毛を抜く癖ができた。
耳鼻科に通って出して貰ったアレルギーの薬は、副作用の眠気が強かった。
夜飲んだ薬のせいで朝起きる事が出来ず、学校を休んだ。
本当に副作用のせいだったのか、今となってはわからない。
学校に行けない自分を恥じたし責めたし負の矛先をたくさん向けた。
とにかく総じて惨めで、身体から感じる腐臭を振り払うことで精一杯だった。
そんな時間を、いつになったら終わるんだろうと延々繰り返した。
明日目覚めて世界が消えてくれていないのなら、いっそこの目をくり抜いて終わらせてしまいたいと、何度も何度も何度も思った。



小学低学年の頃から、じゅんちゃんはいい子だね、クラス全員じゅんちゃんが好きなんだよと言われていた。
誰にでもにこにこしていた。
いじわるされてもにこにこしていた。
相談や愚痴もにこにこ聞いた。
何か話を持ち掛けられた時、
「私は話を聞くことしかできないけど」
と言って聞いたし、本当にそう思っていた。
大人になってから、話を聞くことしかしない人というのは貴重だし、それを続けていくのは難しい事だと思った。
無償で寄り添う献身的な心は素晴らしいが、そういう人の所には、いわゆるタダ飯喰らいの様な人が寄ってくる。
こちらの心配りを良いことに、差し伸べる前に手を伸ばしてむしり取っていく。
それでも快くそれらを受け入れていられるのも最初のうちだけで、いずれは疲れ果て、己の立ち上がるエネルギーすら搾取されてしまう。
心身ともに、保たない。
たくさんの人に気に入られるというのはのべつ幕無しに砂糖菓子をばら撒いて歩くようなものだ。
そのキャラバンの大きさの代償として、紛れ込んだ獣や虫に身体を蝕まれていく。
ここで大切なのは、憎むべきは貪りに来た者ではないという事。
肝心要の悪しき対象は、それらを招き入れてなお、"いい人"という虚像を死守しようとする己の心の乏しさそのものである。
自らが倒れてなお、
「救いの手を差し伸べておいて引き上げることが出来なかった。」
等と心を痛める。
それが周囲へのパフォーマンスではなく心の底から湧いて出た思考であれば、尚更重度の精神疾患だ。
自分を聖者だと勘違いしている。
神格化された存在を守り通すなんて馬鹿馬鹿しい。
そもそもそんな行い、一介の人間には無理な話なのである。
多くの人に気に入られたければ、ただただ黙って自己主張もなにもせずにこにこ頷いていればいい。
そうすれば、右翼も左翼もにっこり笑って手を取ってくれるだろう。
その後左右に引きちぎられる運命だったとしても。
口を開けば、離れる人間が出る。
頷くだけなら、誰もが寄ってくる。
それが私のほとんど最初に心得た処世術で、のちに大きく影を落とす要因であったと思う。


私は果たして何に突き動かされていたのだろう。
嫌われたくない一心だったようにも思う。
否、現状という崩壊していない今を維持することが目的だったのかもしれない。
手を差し伸べるなんて偉そうにと我ながら思うのだが、私にとっては自分自身を救う為だった。
人が悲しんだり怒ったり、それらが爆発する空気は私にとって耐え難い苦痛で、避けるべき事態だった。
だからいつでもにこにこした。
負の感情は反射し連鎖していくものだから。
私が魔法の鏡みたいに吸収してにこにこに変換してまわるだけで、自分の身の周りの平穏は多少守ることができたから。
でもそれは完璧なシステムではなかった。
所詮はその場凌ぎに過ぎない。
後先考えずに放射性廃棄物を増やし続ける原子力発電みたいなものだ。
溜まりに溜まってしまった澱を、なかったことには出来ない。
母と父が喧嘩をするのは止められないけれど、私がにこにこ愚痴を聞く事で少しでも破裂を阻止できるのならそれが最善だと思ったのが最初だった。
世界の仕組みは大きくても小さくても変わらないのだなと改めて思う。
抗えない流れに対して、自己の身の振り方で摩擦を最小限にとどめて生きていくしかない。
私は幼少期に手に入れたそれらのやり方考え方を、寸分違わずそのまま使い回してきたのだと思う。
今までそうして関わってきた全てを肯定する為に、わざわざ守り続けてきたのだと思う。
もう充分だろう。
もう手放してもいいのかもしれない。
もうそろそろ、過去から解放してあげるべきなんだろう。
「もういいよ。あなたの心はみんなに充分伝わっているから。だからもう、あんな風に泣いたりしちゃ駄目だ。」
そう手を握って言われて、肩の力が抜けた。
涙が勝手にあふれ出してきた。
私は、ずっとずっと昔から、誰かに赦されたかっただけなのかもしれない。
ただ一言、もういいんだよ、と言って欲しかっただけなのかもしれない。
本当は他の誰よりも、私が私を赦してあげるべきだったのに。
いい大人なのだから怠慢は辞めて、今までの自分ときちんとさようならをして、きちんと未来と向き合うことをしようと思った。

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