バックリブの99.99蒸しと新しい棚。

※画像は下記。
一昨日は99.99シャルドネを3分の1程呑み残して寝てしまった。
ロング缶にするからこういう事になるんだ。
でも500ml130円という破格を見てしまうと、ついついレジへ持って行ってしまう私がいる。
肝臓さん、いつもありがとう。
ビールの呑み残しは調理酒代わりによく使うのだが、缶チューハイとなると、むむむ。
Google先生に尋ねてみた結果、缶チューハイも料理にイケる模様。
甘くてもいいのか。
コーラ煮とかあるもんなあ。
そもそも調理酒が激甘だもんなあ。
なるほどなるほど、盲点でした。
豚バラ煮のレシピがちらほらあったが、肉ならなんでも合いそう。
缶チューハイにマッチしそうな肉を探して買い物に出たところ、バックリブが安くなっていたので購入。
やったぜ。

塩胡椒を振って、しばらく放置。
油をひいたフライパンで両面に焦げ目をつける。
缶チューハイ煮にするぞっ、と思っていたのだが、こんがりとしたリブの姿を見ていたら、気持ちが揺らいだ。
このままで美味いのでは。
確実に、美味い。
折衷案ということで、ほんの一振りチューハイを入れて蓋をして蒸し焼きにした。
煙のアルコール感がやばい。
もろに吸い込んだら、多分むせるし酔いそう。
さすがはストロングチューハイ。
シャルドネというだけあって、確かに白ワインぽい香りがする。
めっちゃ濃縮した白ワインの匂い。
白身魚とか合いそう。
これでアクアパッツァ作ったら美味しいと思う。
同時進行で、ごはんを炊く。
圧力鍋炊飯も手慣れたもので、もう一生炊飯器要らない気がしてる。
思い返してみると、実家を出てから炊飯器買ったことないな。
家族が玄米嫌がるから、実家にいる時から自分のごはんだけ土鍋炊飯してた。
あったらあったで便利だろうけど、置く場所も要るし、1人なら圧力鍋で炊いて冷凍で充分かなぁ。
とはいえ水加減は毎回ドキドキである。
ここの所、レシピの二倍量で炊いてやわらかすぎるというのが続いていたので、久々に正式な分量で炊いてみることに。
ちなみに若干固めのごはんが好き。
玄米とビタバァレーを混ぜているので、水加減が難しくなっているのだろうか。
以前は玄米オンリーごはんだったが、コスパを考え、白米をメインにする事に。
白米6:玄米3:ビタバァレー1くらいに落ち着いている。
今回は、カニ穴と呼ばれる成功した時に出来る穴ぽこも現れており、かなり良い炊き具合だった。
ごはんが美味しく炊けると、それだけでうれしい。
右前歯が付け歯なので、すごく慎重に骨をかじかじする。
左前歯と下前歯のみを使ってかじかじ。
何度となく、崩壊してるからね。
右前歯。
もうこれいっそのことインプラントの方がいいのかなと思ったりもするけれど、一回1000円前後で治してくれる主治医がいるので、崩壊しては治しのサイクル。
前歯、保険利かないはずなのにね。
私が小学生の時から通っている歯医者さん。
同級生のお父さんが院長さん。
さすが地元。
19の時痣だらけで前歯の神経剥き出しのまま行ったら、DV受けてる子だと思われたのかめっちゃ手厚くして戴いた。
酔っ払ってひとりですっ転んだだけなのにね。
それから恩恵を受け続けてはや10年。
最近では、またですかと呆れられたりもしている。
すまんな、先生。
そして調理と更に同時進行で、もうひと作業した。
冷蔵庫とシンクの間のスペースに作った棚が、今年半ばに崩壊してしまったままだった。
徐々に崩壊を続け、もう棚というよりオブジェに近い状態。
いつかやろうと思いつつなかなか手を出せずにいたのだが、遂に新しい棚を買ってきたのだ。
棚といっても、100均に売っている調味料台のようなやつである。
3つ重ねて使っていたので3つ買おうと思ったら、注意書きに「2つまで重ねOK」と書かれていた。
崩壊は、許容範囲を超えていた結果のようである。
用法容量はちゃんと守らなくちゃだね。
コンロの火加減を見ながらせっせと組み立てる。
完成。
おおおお。
ちゃんとしたぞ。
よかったよかった。
調味料がちょっとあぶれてしまったので、あたらしくワイヤーネットにかけるカゴを買ってくるかな。
100均様々。
ありがたやありがたや。
この間がちゅとのぶちゃんが来た時、お茶の種類の多さにびっくりされた。
玄米茶、紅茶、ハーブティー、コーヒー、ココアなど。
みんなそんなもんだと思ってたけど、違うらしい。
調味料もすごい多いのよね。
個人的には、マスタードシードとかクミンシードとか、スパイス系をもうすこし揃えたいと思っている。
冷蔵庫の棚一つ分くらい調味料や調味液で埋まっているのはどうにかしたいと思いつつ。
今朝洗い物しながらふと思ったけど、これ、実家じゃん。
私の昔の家の姿へ、知らず知らず突き進んでいる模様。
これが帰巣本能か。
整頓出来るようになったので大進歩だな。


調味料は保存が利くが、食材は冷凍でなければそうはいかない。
以前から安く買って美味しく食べ切る事をモットーにしている私。
しかし値引き品や特売を目の当たりにすると、思わず買ってしまったりもする。
そのときの思考の落とし所をいつも改定して、ぴったりくるコントロールの仕方を探っている。
今日思ったのは、責任を買うと思って判断するということ。
スーパーに並んでいる時点では、萎れようが傷もうが自分に責任は無い。
でもお金を払って購入した時点で、そのレタスなり鶏肉なりの責任は、自分にある。
安いからといって買ってきて、使い切れずに芽が出てしまったじゃがいもも、自分の責任。
食べられない部分をそぎ落とし本来の7割程を食べるのか、それを丸ごと捨ててしまうのか、それらは自分の判断であり、自分の責任である。
食材の行く末は私の手に委ねられる。
そう考えると、安くても使う予定のない食材を手の内で衰えさせるよりは、使う時に、その時安い値段で手に入れて食すほうが、気持ちが良いのではないか。
猫を買ってきたけど想像となんか違うから要らないとか飽きたとかで持て余す人間と似た様なものなのかなと思った。
自分の欲だけで動くと、やはり犠牲が出たりするのか。
野菜の運命と自分のたべたいものがマッチすればそんなこともなくなると思う。
とはいえスーパーの野菜コーナーのピーマンに、
「もしもし、あなたをチンジャオロースにしてもよろしくて?」
などと問いかけたところで応えてはくれないだろう。
野菜なんだから。
結局は私の私欲由来の運命がお野菜に課せられるということだ。
ならば美味しく召したのち、私の血となり肉となって戴きたい。
見切り品を買うか否かでここまで考えるのは正気の沙汰とは思えないかもしれないが、私の中では世界の真理と繋がっている感覚です。
国語で学んだ日本語で買い物をして、お会計の時に算数を思い出して、消費税を取られるのは何故なのか社会で教えてもらったのですんなりと支払い、家に帰ってパスタを茹でる時沸騰したお湯は100度だと理科で習ったなと思い出す。
教育を賛美するつもりはなくて、私は興味のある事柄を学ぶのがただただ好きなだけ。
私は死ぬまで、こういう自由研究を続けて生きていきたいし、多分一生頭のなかでぐるぐる考え続けていくと思う。


今日は阿佐ヶ谷でりなちゃんの舞台初日。
本日分のチケットは完売御礼のよう。
チケット予約してよかった。
ミニッツライブのあつみーと観に伺う予定。
えっちめの役柄だそうで、トテモ楽しみである。

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