はやとうり。〜体外に同居する者として〜
昨日はのんびりデイでした。
お写真は、道端で見つけた葉っぱさん。
最近、こうしたいと思うより先に身体を動かすようにしている。
葉っぱや木の幹に触ったり、ぐーっと両腕を伸ばしてストレッチしたり。
かゆみを感じるときは、
「かゆい!かゆいね!」
と、自分に同調しながらかゆい部位を掻く。
自分はいまかゆみを感じて、少なからずでもぐずっているのだと自覚をするために、わざと口に出して問いかける。
同時に、心の不和による"わかってほしい"という欲求を、自給自足で補う練習でもある。
脳味噌で学んで多くを知り、すっかり飼い慣らせているつもりでも、実は心って本当に純粋で、イヤ!とか好き!とかにとても敏感で。
ストレスって総じて、自分自身へのネグレクトなのではないかなと感じています。
身体的精神的不快感を、仕方がないとか、しようがないとかって責任転嫁で放置した結果なのだと思う。
大人になると、たくさんの事情や関係性に揉まれて、我慢が当たり前になってしまって、自分の心のごきげんに気付くこと自体、難しい。
いや、難しいものにしてしまっている。
不快感を覚えるそれ自体は悪いことではないのだよと、駄々をこねる自分の心と向き合って、すこしだけ辛くない方法を選んだり、言葉をかけてあげたり。
そういうことって、衣食住とおなじくらい大切なものなのだと最近心底思う。
アサーティブしかり、他者と、そして自分自身と円滑にやっていくための知識や技術は、もっともっと広めるべきだ。
知っているか否かで、生きやすさは格段に違ってくる。
病に罹る確率も、確実に低くなる。
高円寺のスーパー、ユータカラヤでお買い物をした。
ポテトサラダが食べたくなったので、じゃがいもを買いに行きました。
じゃがいもが高騰していると先日ニュース番組で拝見したが、そこまで高値な印象は受けなかった。
爆安ではないけれど、自分の食べたい対価として、充分払える額。
農家の方々、流通の方々、ありがとう。
皆様のおかげで、今日も美味しいポテサラが食べられます。
一角に積んであったはやとうりが目についた。
買ったことはないけれど、たまに見かけるなあと思っていた。
98円と安かったし、せっかくなので買ってみることに。
母親も見たことのない野菜を見つけるとすぐに買ってきて調理したがる人で、こんなところにもDNAが受け継がれているなと実感する。
道の駅のお野菜とか、ずっと見ていられるわ。
アクの強いお野菜ということで、アク抜きをして塩揉みしたのち、調味料であえてザーサイ風にしました。
アク抜きは、きゅうりとおんなじで、お尻を2cmほど切り落として、あわあわが出なくなるまでくるくるとすり合わせる。
なんかおもしろい。
ザーサイと言われたら信じてしまいそうな食感で、とても美味。
すこし舌が痺れたので、アク抜きがあまかったのかもしれない。
それもそれで、お野菜の醍醐味ですかね。
まだ4分の1残っているので、いろいろ試して楽しもう。
映画上映のとき、宇宙ちゃんに、
「じゅんじゅんは人に気を遣いすぎる。もっと自分を優先させていい。」
と言われた。
呑み続けだった上映中盤、宇宙ちゃんに声枯れに効く漢方を渡し、最終日前日にアリナミンVを配り、最後日にちいさい花束とメッセージカードを、ナオキさん、千葉さん、にゃんにゃんのおふたりにプレゼントした一連の事を指してのお言葉なのだと思う。
たしかに、それぞれ用意しながら、ちょっとやりすぎかしらと思わないこともなかった。
でも、私だったら嬉しいなあと思ったので、決行しちゃいました。
みんなとの距離感や信頼度が高まっていたからこそ、素直に渡したいと思えたし、結果、やり過ぎにならずに済んだのだと思う。
生理解剖学の本を読んでいた時、体内というのは血管や筋肉などを指し、口の中や胃袋の中は体外とされると知って、驚いた。
外気から辿ってゆける肌や粘膜は、体外だというのだ。
ということは、いま吸い込む空気や、その先にいる誰かは、私の胃袋やその他の内臓器と同じ、体外に存在していることになる。
歯磨きをして口内環境を整えたり、胃薬を飲んで二日酔いを緩和するのと同じように、体外に存在している他者に穏やか且つ快くいてもらう事は、自分にとって他人事ではないのではないかと考えた。
少々無理があるかもしれないが、私は実感をもってそう思うことが出来た。
ならば、その他者の疲れをまぎらわすもの、嬉しいこととは、一体何か。
人によって千差万別ではあるが、一番簡単に参考に出来るのは、自分がされて嬉しかったことだろう。
上映会の際、ご来場下さったお客様から、お花や嗜好品などのプレゼントを戴いた。
もしそれがなかったら、私は宇宙ちゃんをはじめ、みんなへの感謝や嬉しさを、形に出来ていなかったかもしれない。
だから、直接プレゼントしたのは私だけれど、それ以外の多くの方々の、慮りのおかげなのです。
喜びをキャッチして繋げられた自分の心の余裕を含め、とても大切な学びになりました。
宇宙ちゃんが声を掛けてくれたのもわからなくなくて、私はずっと人のためになにかをし続けていて、ただひとつ以前と異なるのは、自分を蔑ろにしていないということ。
自己犠牲は、もうやめました。
自分もひとりの人間で、他の誰かに相対するのとまったく同じく、心を配ってあげるべき存在なのだと、32年生きてきて、ようやく気付くことが出来ました。
だからもう、大丈夫。
私は私を抱きしめたまま、私が穏やかでいるために、より多くのあなたを大切にしていきたい。
今日も幸せないちにちでした。
明日はまたまた、初挑戦DAY。
某氏にご指導ご鞭撻戴いてきますよ。
帰ったらいろいろ準備しようっと。
0コメント