ライブおつかれさまの日。
ライブでした。
久々のサンライズ、今年初のダムダム団ライブだったので大泥酔。
帰宅してコンタクトレンズを外した私。
目が泥酔者のそれ。
寄り道も無駄遣いもせずに帰ってきたようだが、尻の痛さ的にどこかでひと眠りしたような気も。
記憶がございません。
今日はアルコール分解を手助けすべく、のんびりゆっくり過ごした。
ゆっくりしていて、気付けばこんな時間に。
昨日のライブの日記は、明日にでも書くとします。
以前にも載せたかもしれない、私のよく食すしょうが汁。
にんにくはレンジで皮ごと500w20秒チン。
チンすると、皮がするっと剥けるのと少し火が通るので臭いが抑えられます。
にんにくとしょうがのすりおろし、顆粒だしの素を入れてお湯を注ぐだけ。
味が足りなければ醤油を足す。
簡単だしポカポカ温まるので、汁物欲しいときにおすすめです。
今日の忘れん坊将軍は、ケトルのお湯が沸いたと思い込んで、このしょうが汁を水で作ってしまいました。
ケトル、カチって鳴ったよな〜と注いだのち、いただきますして一番に口にしてビビる。
つ、つめてーい。
なんでやねん。
ふーふーしちゃったよ。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
そういえばケトルのコンセント抜こうと思ったら既に抜けていて、あれれ?と思ったような。
私ちゃんと抜いてえらいじゃん、くらい思った。
そもそもコンセントを挿してさえ居らず、お湯が沸いたと勘違いをし、水で溶いたしょうが汁を啜り、ひとりノリツッコミ。
愉快な一人暮らしだな。
昭和だったらめっちゃウケてそう。
令和生まれには通じないギャグな気がする。
大丈夫ですか?とか本気で言われそう。
私が一番思っているんで、せめて他人は笑っていて欲しいものである。
忘れん坊事件簿が増えつつある今日この頃。
核ミサイルのスイッチの掃除の仕事とか担ってなくて、本当に良かった。
とはいえ火の元とかは笑えないので、きちんと気をつけなくちゃ。
頼むぞ、私の中の忘れん坊将軍。
漬けておいためかじきのあらを竜田揚げ風にした。
朝はごはんで、お昼は自家製パンでサンドイッチに。
とっても美味しでした。
サラダ油がなくなったのでオリーブオイルで揚げ焼きにした。
血合いなのでお肉感があってボリューミー。
早くもオーケーストアのあらを探しに出向きたい気持ち。
あらを探しに、あら探し。
ははは。
こういうのも、大丈夫ですか?って聞かれちゃうのかなあ。
いたたまれない感じになるから爆笑までいかなくてもミッキーくらいの生暖かいリアクションは取り繕って欲しい。
ハハッ、って。
今日は雨がめちゃくちゃ降った。
ベランダを見たら、地面が小さな池になっていた。
波紋がすごいワビサビっぽい。
家に居ながら、京都っぽい。
対面の祠が良い味出してる。
引っ越しを手伝ってくれたことりちゃんが一番にこの祠を見つけて、
「いいなあ!祠付き物件、いいなあ!!私も祠付き物件に住みたい!!」
と大興奮で話していた。
ことちゃんに言われなかったら、多分気付かないままだったろうなあ。
我が家は祠付き物件。
ベランダを覗けば、いつでも祠。
悪くない。
昼過ぎから雷が酷くなってきてピカッと光ったりしていたので、この天候を存分に味わうべく電気を消して、ピカッとしたら何秒でゴロゴロくるかを確認したりした。
家から出なくていいと、雨も心地良いものである。
お仕事や学校の方々は大変だな。
つくづく、時間とは人間の体感と関係なく淡々と流れていくものだなと思った。
毎日毎日お掃除しているお陰か、部屋が片付いてきた。
良いことだ。
手放すのを躊躇うというのは、実物その物というより、それに付随する思い出や可能性に対してであり、即ち、過去と未来なのだなと気付いた。
過去にあったエピソードに後ろ髪引かれて手放せない。
いつか使うかもしれない未来を思って捨てられない。
人間は少なからず、過去と未来に縛られて生きている。
しかしながら、あまりそれらに重きを置き過ぎれば、今現在の自分の可動域が狭まり、時には身動きすら取れなくなってしまう。
掃除中にいちいち退けてうんざりするモノ。
ぶつかって倒したり落っこちたりしてしまうモノ。
それらを何度か繰り返すうちに、ああこれは障害物なのだなと気付いた。
それを手に取れば、その時のことを懐かしんだり、今度使おうと夢(というと大袈裟かもしれないが)を膨らませたりできる。
それはとても素敵な事だが、実際部屋を掃除していたら、ただの邪魔なモノでもあった。
あれこれ思いを馳せられるモノというのは、ある意味邪念を含んでいるのかもしれない。
よくない目論見のような意味ではなくて、無心に対してのブレのような意味合いでの、邪念。
そういう意味で、モノにはおまじないと呪いが同時にかけられているんだと思う。
思い出や希望というおまじないが、一方では捨てられない呪縛となってしまう。
私の好きな映画「ハロルドとモード」の中で、主人公のハロルドがプレゼントした指輪をモードがその場でぶん投げてどこかへやってしまうというシーンがある。
驚いたハロルドにモードが、
「これで一生失くさないわ」
と笑顔で言って退ける。
思い出や人の想いというのは、それを込めたモノを失ったとしても、消えたりなくなったりしない。
モノに囚われ過ぎる事は、おまじないを呪いに変えてしまう事なのだろう。
私の持っている物は、どうなのだろう。
貰ったものだから、高いから、まだ使えるから等々、思い当たる節がたくさんある。
今一度、身の回りの物たちを吟味してあげねばと思った。
捨てる事は、所有者である私にしかできないもんね。
明日またお片付けをしようっと。
おやすみなさい。
0コメント