はじめての法話。
※画像は下記。
去年末から精神が大崩壊し、仕事も辞めた私。
「あれ、やばいかもしれない。」と思い始めてから、色々なハウツー本、自己啓発本を読んでみていた。
自分の心を持ち直すには、自分の思考が要だと、心の隅で分かっていたのだと思う。
その時に読んだ一冊。
名取芳彦氏の「気にしない練習」。
なんとなしに手に取った。
1項目が見開き1ページに収まっているので、とても読みやすいし、見たい項目から読んでも問題ない。
一から読まなくてはいけないと思って挫折しがちな私には、とてもありがたい。
途方も無く負の感情を繰り返して、逃げ道も見つからず、常に自分を責めていた私に、いいんだよと、肩に手を置いてくれた。
そんな本だった。
著者は、小岩にあるもっとい不動密蔵院というお寺の御住職さまだそう。
調べてみたら、なんだかすごく面白そうなお寺。
ホームページは、全体的にかわいらしい絵がたくさん描いてある。
般若心経写経のオリジナル写経用紙がダウンロードできるのだが、蓮の花があしらってあったり、はたまたかわいらしいお地蔵さまが、一文字一文字抱えているように見えるフォーマットなど、いいのかな?と思うくらいのゆるさ。
写経は私も自宅でやっているのだが、もっと、間違えちゃいけない、姿勢を正さなくちゃなどと緊張しながらやるものだったので、驚きである。
なんと、御住職のYouTubeチャンネルまである。
一体どんなところなのだろうとすごく興味が湧いた。
気になったら、行動する性分。
毎月、写仏と呼ばれる、仏様の絵を描く会と、奇数月に法話の会があると知って、これは行かねばと思った。
特に、「もっといい法話の辻」と呼ばれる会の説明には、"午後4時~午後5時(本堂)、午後5時~午後6時(一杯飲みながらのフリートーク)"とあった。
一杯飲みながら…だと?
まさかお酒じゃないよねそうだよね法事でもないのにねと思いつつ、著書の中でお酒好きを豪語されていたのでもしかしたらという期待も胸に、遂に昨日言って参りました、密蔵院。
JR小岩駅からバスに乗って10分程。
鹿骨の停留所で降りると、すぐ目の前がお寺だった。
お寺の前の掲示板には、御住職のお言葉と、あのかわいらしいお地蔵さまが。
ひとまずお参りを済ませ、少し早いけれど御堂へ。
中には、御住職の著書がずらりと。
私は右の「気にしない練習」と「ためない練習」の二冊を持っている。
他の著書も、とても面白そうである。
絵はがきもたくさん飾ってあった。
これとは別に、ダンボールの裏にお言葉とお地蔵さまが描かれたものもあった。
1枚50円を目安にと書かれており、横には賽銭用の籠があった。
いやはや、素敵なお言葉。
絵はがきなどを眺めていると、奥から「こんにちは〜」と声を掛けられる。
今日は誰かの御紹介?と尋ねられたので、ご本を読んで来ましたと言うと、それはそれは勇気のある方だ、と笑って仰った。
名取さんだった。
どちらからと問われたので「高円寺から来ました」と言うと、そんなに遠いところからよくいらっしゃいましたと気さくにお話して下さった。
読んだ通りのお人柄で、緊張が和らぐ。
本堂でお線香をあげて、資料と経典を手に席へ着く。
開口一番、
「お酒を呑まないと口下手なもんですから」
と仰る御住職。
頷く私。
激しく同意致します。
1時間は皆さんの力をお借りして法話を、あとの1時間はお酒の力を借りて懇親会を、という会合だそう。
なんて素晴らしいのでしょう。
最初は読経。
お借りした経典を、御住職に習って読んでいく。
何ページのどこを読むのかきちんと説明して下さるので、私みたいなド素人でも、おどおどせずに読む事が出来た。
般若心経を始め、四つ程読んだあとはお話を聞く。
この法話の辻は、バラエティ番組のようにいくつかコーナーを設けてやっていきます、と御住職。
次は、曼荼羅に描かれている仏様の中から、毎回一人ピックアップして紹介していくコーナー。
昨日は薬師如来。
御住職はこの日おでこに大きな絆創膏をしていらして、聞けば先日階段から落ちてしまい10針縫われたとのこと。
なので今回は、治癒を司る薬師如来をとお話して下さった。
左手に薬の壺を持っているか、かざした右手の薬指を少し曲げていたら、それはお薬師さんなのだそう。
知らなかった。
おもしろい。
傷が早く良くなるおまじないも教えて下さった。
怪我した場所をなでながら唱えて、身体の細胞が活性化して治っていくようイメージすると、心なしか治りが早いとのこと。
いたいのいたいの飛んでいけ、のようなもの。
ここで驚きの発言、
「薬師如来なんていないんですよ」
と名取住職。
いやいや御住職がそんなこと言っちゃっていいんですかッ。
聞けば、"神様は、心穏やかにいるための一つのツールであり、概念を擬人化したものである"とお考えだそう。
なるほど。
神様も、仏教の教えも、全ては、心穏やかに過ごすためのもの。
正直、厳かな本堂の中で、何の心得もない上に普段着のスカジャンで来てしまった私は、相当場違じゃないかと思っていたのだが、その言葉を聞いてすごくほっとした。
むずかしいことがわからなくても、強い信仰心を持っていなくても、着飾らなくても、ここに居てよいのだなと安堵した。
3つ目は、「布施」についてのお話。
布施とは、見返りを求めずになにかすること、やらせて戴くということ、だそう。
"心配"とは、相手への見返りを求めてしまう行為である、と仰る。
例えば、怪我をしているのだからお酒を呑んではいけないよと心配して声を掛ける。
その言葉に反して相手がお酒を呑んだならば、こちらは不安が募り、イライラし、平穏ではいられなくなる。
遂には激怒してしまうなんてことも。
これは、仏教の教えである"心穏やかに"の境地と真逆である。
ではどうしたら良いのか。
「心配のうしろに"り"を付けて、"心配り"をなさるといい」とのこと。
見返りを求めず、心を配る。
そうすれば、双方波立つこともない、と。
そして、人から心配された際には、なるべく早いうちに、相手が安心できる返事を返すといい、と。
ははあ。
近頃ずっと考えていた事なので、すごく腑に落ちた。
そうなのですよね。
穏やかさを逸するというのは、自らの理想や望みと現状の差異によるものなのですよね。
うんうんうん。
最後は、「悪口を言われても傷つかないコツ」。
自分が相手もしくは周りにどう見られているのか、3つ4つ想定しておいて、それに対しての返答をいくつか考えておくとよい、とのこと。
参加者ひとりずつ、言われて嫌だった事を話して、どう返したらよいかみんなで考えていく。
ここで一番重要な事は、「真に受ける必要は全く無い」ということ。
なるべく、相手が呆れてしまうような一言を用意する。
大喜利のようなものだと思いなさい、と。
落語家のように、するりと交わす言葉を考えておくといい、と。
例えば「いつも上から目線よね」と言われたのなら、「私の前世は蛙だから、目が上に付いていたのよ」と返してしまう、など。
聞いた相手が、こりゃダメだ、となればこちらのもの。
拳を振り下ろされても、喧嘩を買ったり請け負う必要は全く無い。
御住職が「暖簾に腕押し状態になれば良い」という言葉を使っていたが、本当にそうだと感じた。
ある程度の悪口や相手の目線を想定して対策を練っておけば、ショックは最小限で済む。
自分はこう思われている可能性があるな、と思っておくべし。
自分はこう言われるから駄目なんだ、と気に病む必要は全く無し。
目から鱗だった。
一貫して、全ては、心穏やかにいるために。
お話の最中、私はずっと首を縦に振っていた。
赤べこみたいだったと思う。
それくらい、合点がゆく話ばかりであった。
「今日はコロナの件もあるので、6時で解散です。なので、10分早いですが懇親会に移ります。お酒の時間がありませんよ。」
という事で、客殿へ。
これは本当にお酒好きな方の発言。
「ビールがお好きな方はラッキーです。今日はキリンのクラフトビールがありますよ。」
なんということでしょう。
最初にホームページで"一杯飲みながら〜"という文字を目にした時はお酒でないかも等と思っていたのに。
紛れもないアルコール飲料。
しかもまさかのクラフトビールだなんて。
客殿にはそれぞれの席にお菓子が用意されていて、各自飲み物を取って好きなところに座る。
私は勿論、クラフトビール。
キリンの496というもの。
初めて見る。
御住職が乾杯の音頭を取って下さり、懇親会開始。
とても呑みやすいが、すごくしっかりとしている。
さ、さすがクラフトビール。
ありがたいお話をお聞きした上にこんな高級なお酒まで戴いて、もう幸せしかないではないかっ。
ハラダのシュガーラスクもすごく大好き。
そして、用意されたお酒の量よ。
1時間の予定である懇親会で、この量である。
写真は会合の途中のもの。
これ以外にも日本酒などがたくさんあった。
ここは本当にお寺なのだろうか。
クラフトビールとキリンの瓶ビールを戴いたのち、参加者の方に日本酒を注いで戴いた。
名前は見そびれてしまったが、右は深めの味わいでがっつりとした呑みごたえ、左は水のようにスイスイ呑めてしまう危険な美味しさの日本酒だった。
毎回来ていらっしゃる方が多いようで、今回はお坊さん仲間の方々も10名ほどいらっしゃっていて、いつもより人数が多いとのこと。
途中、
「今日は高円寺から初めて参加して下さいました。」
と御住職から皆様に紹介戴いて、っひゃー!!本日はお邪魔致しましたとても楽しかったですっ、とてんやわんやでご挨拶。
「髪が長くて大変そうだね、坊主は楽ですよ。」
とも言われた。
同じ事を無善菩薩にも言われたような。
参加者の皆様、とても良い方だった。
前述の通り、6時に御住職が締めのご挨拶をして終了。
「いつもは8時くらいまで呑んでいるんですよ、住職」
と、同席した方が教えて下さった。
本当にお酒がお好きらしい。
お寺を出る際、「宜しければまたいらして下さいね」とわざわざ名取住職ご本人がお声掛け下さった。
ごちそうさまでした、ありがとうございましたとご挨拶して、帰路に着く。
帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
ライトに照らされたお寺は、昼間とはまた違う魅力があった。
帰りのバスの中でも、参加者の方々とお話した。
「今度来る時は本を持ってきたら良いですよ、住職がお地蔵さま入りのサインをしてくださいますから」
とのこと。
名取住職のやわらかで分け隔てのないお人柄に、皆さんが集まってきているのだな。
[▲名取住職のお言葉とお地蔵さま。段ボールに描かれている。全て手描き。なるべく心にやさしいものを見ていたいなあと思って戴いてきた。]
興味のある人には、会いに行けるならば、会いに行った方が良い。
お互いの生命があって、自分に会いに行く足も体力も気力もあって、お会いできるタイミングが合って、それってすごく沢山の偶然が重なった結果なのであって。
そのひとつの行動が、たくさんの御縁と繋がっていく。
私の今までの経験上、そう思う。
昨日も、本当に行って良かった。
来年のカレンダーを戴いたので、お部屋に貼った。
今回は御朱印帳を忘れてしまったので、次は忘れずに持って伺おうと思う。
とても豊かな一日であった。
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