たぐち屋のエビフライ
父から「誕生日祝いに家族で飯行くか!?」
と連絡がきた。
何か食いたいものあるかと父に問われた。
めっちゃ考えた。
めっちゃくっちゃに考えた。
そこまで考えなければならないほど、食べたいものがない。
「欲しい物あるなら一緒に買いに行くか!」
こちらも考えた。
それはもうモノ凄い勢いで考えた。
全身全霊の剣幕で(しかも1人で)考えても思い当たらないほどに、欲しい物がない。
それはプレゼントが嬉しくないという意味とは全然違っている。
お花だって、お酒だって、おつまみだって、プレゼントは飛び上がるほど嬉しい。
ただ、自分で選んで、ねだるほどの物が思いつかない。
思い当たらない訳ではない。
でも買って戴く程ではない。
ねだるのが昔からすごく苦手だった。
昔々、私が幼稚園児の頃の話。
私は"にんじん"と書かれたにんじんの形でにんじんの色をした駄菓子がすごく好きだった。
中身に入っているのはポン菓子と呼ばれるもの。
米を加工し膨らませて、甘く味付けした駄菓子。
中身は白いのに、何故にんじんなのかは謎である
当時で確か20〜30円くらい。
今も多分40円程で買える、駄菓子中の駄菓子である。
スーパーに買い物へ行くと、私と姉は子供向けのお菓子売り場へ向かう。
姉は大体、セボンスターというアクセサリーに気持ちばかりのラムネが付けられ駄菓子と言い張り売られている代物を欲しがった。
こちらは少し高くて3桁する。(いっても100幾らだが)
その頃の我が家は一軒家を買うためにかなりの節約生活をしていた。
とはいえ、貧乏だとかひもじい思いが残っていないのは、限られた費用で美味しいごはんを作ったり、市販品顔負けの手作りの可愛い服やバッグを持たせてくれたりした、母の努力の賜物だと思う。
というわけで、「3桁は高いからダメ」と、子供ながらに念頭にあった我々姉妹だった。
だがしかし子供は子供。各々のやり方で物欲を満たそうと頭を働かせる。
姉は欲しいー!と直談判し、仕方ないなあ、なら買ってもらい、ダメなら我慢。
私はといえば、母とスーパーに入って即、駄菓子コーナーのにんじんの前に立つ。
母が野菜売り場へ行こうが鮮魚コーナーに行こうが、目もくれず、念を浴びせるが如く、延々とにんじんを見つめる。
すると、買う物を選び終えた頃、母が私に声を掛けてくる。
「じゅんー!帰るよ!」
であれば、すっと帰る。
「それ、欲しいの?」
であれば、黙りこくり、またひたすらじっと見つめる。
「欲しいのね?」
小さくうなずくと見せかけてあごをグッと下げてじっとにんじんを見る。
すると、母がにんじんをカゴに入れてくれる。
今思えば、物凄く陰湿なねだり方だったと思う。
だがしかし私は、それ以外のおねだりの仕方を知らなかったのだ。
現在とは比べ物にならないくらい無口だった。
というか無言過ぎるので、母親はこの子は喋れない子なのではないだろうかと心配したそうだ。
同じ頃、うちへ遊びにきたおばあちゃんが、いつも私と姉に500円をくれた。
その時私はいつも、誰に教えられるでもなく、
「ありがとうございます。」
と言った。
祖母に敬語。どんな幼稚園児だよ。
あとで3つ上の姉に呼び出しを喰らい、
「そういうときは、ありがとう!の方が可愛げがあるのよ!ありがとうって言いな!」
と言われ、必死で
「ありがとう…(ございます←心の中で)」
と頑張った覚えがある。
私は幼少期に何かトラウマがあった訳でもなく、根っから、物をねだる、物をもらうことに関して、ものすごく謙遜する性分だったのだ。
今はもう大人になり、贈り物に対してはおどおど戸惑わず、
「ありがとうございます!」
と言って快く戴く方が、自分にも相手にも良いことを学んだ。
だがしかし、問題は、おねだりである。
いつも家族の会合ではしゃぶしゃぶや焼肉に行くのだが、正直近頃、小食でそんなに食べれない。酒は別腹。寧ろ本腹。
そもそも酒を呑む時あんまり食べないタイプ。
とはいえ私のお誕生日祝いなのだから、どこでもいいなんて味気ない。
もてなす側も、主賓が喜ぶ場所がいいに決まっている。
高級レストランで食事をしてみたい!とかいう憧れもないし、蟹やすき焼きといった高級料理にもてんで興味がない。(好きは好きだけど。)
そんな悩みまくりの時に、ふと頭に浮かんだ。
「たぐち屋のエビフライが食べたい。」
と。
私が幼少期、小学校に上がるまで過ごした横浜市南区は日枝町にその店はある。
法事などで母方の親戚が集まる際にいつも使っていた料理店である。
その店には、大きなエビフライがあり、幼い頃の私の1番の大好物だった。
2番目は、アジの開きである。(何故。)
母方のいとこたちと(総勢6人程)、わいわいギャーギャー座敷ではしゃいだ。
ある時私が「エビフライ大好き」と言うと、
「じゃあじゅんぺいにわたしのエビフライあげる!」
と、エビフライを差し出された。
じゅんぺいというのは、母方の親戚内の私のアダ名である。今でもそう呼ばれる。
わーいと喜ぶ私。
「じゃあわたしも!」
「じゃあおれもあげる!」
わたしもおれもとあれよあれよと増えゆくエビフライ。
いとこ全員から集まったエビフライを眼前に、私は、
「うわー!ここはエビフライ天国だ!」
と言わんばかりに大興奮で食らいついた。
でもさ。
すごくでかいんだよ。
ひとつ、ひとつが。
多分、幼少の私の二の腕ぐらいあるよ。
もしくは下腿くらいあるよ。(膝から足首までの部位)
そんなこんなで、完食出来ないまま座敷にぶっ倒れる私。
この時、
「しあわせも、おおすぎると、くるしいんだなあ。」
という事を学んだ。みつをかよ。
その思い出のたぐち屋に、行って参りました26年振りくらいに。
胸があつくなるね。
コレです。
今見てもでかい。
ちなみに、昔あった座敷はなくなって机と椅子になっていた。
あの座敷で今一度寝転びたかったなあ。再現映像みたいに。
残念。
顔面と比べてみた。
きちんと顔の横に当てていないので、正しく伝わり辛いサイズ感。
なにが凄いって、中のエビがプリプリの極太。
衣が売り(と言う名の隠れ蓑)な店が大概な中、ここは、衣以上に中身に衝撃を受ける。
たぐち屋のエビフライを食べたら、その辺のエビフライは衣エビですよ。ええ。
他にも色々と。
右奥のでかいの、鳥唐揚げかな?って思うじゃないですか。
ふぐの唐揚げなんですよ。
丸々ふぐが揚がってるのですよ。
無知なので、え?毒どこいった?と興奮気味に喰らいつきましたね。(毒の心配は何処へ。)
お刺身も美味しかった
蝶々の飾り切り。
もうさ、こういうの、すごく嬉しいじゃないですか。
召し上がる方の事を考えてくれているじゃないですか。
こういう、心が彩るおもてなし、大好き。
徒歩圏内だったら絶対通ってる。
店内の雰囲気も良し。
個人的にこのアングルだと鶯谷の信濃路っぽい。
実際は全然違いますけども。
ここで呑める喜び=プライスレス。
全然関係ないけど、ネットで安かった1ヶ月カラコンを今日開封して着けてビックリ。
目ぇデカ。見えればどうでもいいけど。
1ヶ月はこの宇宙人みたいな目です。よしなに。
お姉ちゃんはあんまりお酒呑まないので途中からソフトドリンク。
フロートいいねー。
そろそろ食べ納めだよね。
店員さんに、小さい頃よく親戚で食べに来させて戴いて、こちらの飴をおばあちゃんに買ってもらったんですよと話して母方の苗字を言ったら、
「ええ!覚えがありますよ!」
と仰って下さった。
その後も私よりピッチの速い父とバカスカ呑んで、お会計して帰る際、
「あの、お誕生日ですしよかったら。また来てくださいね。」
と、飴を3袋下さった。
嬉しいじゃないですか。
もうすっごく嬉しい。
当時はワイヤーで捻って上を留めてあったのだけど、ジップロック式になっていて、時の流れを感じる。
でも味はあの時と変わらず美味しい。(帰りの電車で早速舐める。)
おねえちゃんにお茶味を渡して、みそとあんこ味を貰った。
思わぬ手土産。本当に嬉しい。
私が当時勝手に、補助輪付きのセーラームーンの自転車で遊びに行って怒られた公園。
自宅から少し行くと、黄金町という治安がスラムな場所に近かったのもあり、今思うと過保護というよりそれが普通だった。
下町だからか、知らないおじさんに飴をもらったりもした。
幼少期の姉曰く、
「じゅんはモノをあげたくなる顔をしている」
らしい。
当時からあったじゅんという名前のペット美容院。
この時シャッターの下で人が寝ていて、さすがこの土地だと思った。
酔ったら道端で寝る私の素行はここから来ているのだろうか。
ゆずで有名な伊勢佐木町モールのおしり。
大好きで御用達のブティック・ルージュがなくなっていて悲しかった。
パフォーマンスのウエディングドレスも、今ライブで着てる服も買った凄く好きなお店だったのに。
横浜橋に移転したそうなので、近々行きたいと思う。
ジャズ好きな父がジャズ喫茶行きたいと言うので向かったが、もう店仕舞い。
仕方なく餃子居酒屋で呑む。
まだ呑むのかよ。
完全に血筋だな。
と言いつつ、終電で駅に着いてチューハイ買い込み呑む私。
結局3本呑んだ。
氷結のシャルドネ?マスカットのやつが美味しかったのでまた買おうっと。
チューハイはアルコールの角がキツいと苦手。
あと酸っぱい系は未だに苦手。
あれば呑むけど。(呑むんかい。)
最後は安定のほろよい白サワー。
昨日はそんなに泥酔しなかったなあ。
姉から受け取った、母からのプレゼントの中に手作りのおいなりさんが入っていた。
にゃんにゃんのフードでおいなりさん作ったばかりだったのでちょっとビックリ。
こういうこと、たまにある。テレパシー的なやつ。
〆にもぐもぐ。母の手料理は至高だね。
年内に、また家族忘年会したいな。
0コメント